VOODOO-MURDERS
VOODOO-MURDERS(ブードゥー-マーダーズ)は、全日本プロレスを舞台として活動し、TARUをリーダーとするヒール・プロレスラーのユニットである。略称は、ブードゥー、略表記はVM(以下、本文中で同ユニットをVMとも表記する。)。 2011年6月、リーダーのTARUによるメンバーのスーパー・ヘイトに対する暴行傷害を受け、全日本プロレスにより強制解散となった。 2012年12月、元メンバーである"brother"YASSHIが自身のレスラー復帰に伴い、グループの活動再開を発表した。 なお、本項目では前者を第1期、後者を第2期として説明する。 経歴第1期結成の経緯・初期2005年1月、ジョニー・スタンボリーとTARUが共闘した事により結成された。スタンボリーは、前年末の世界最強タッグ決定リーグ戦にラブ・マシンズの秘密兵器「GREAT MUTA」として参戦したが、ラブ・マシンズから戦力外通告を受け孤立していた。一方、TARUは前年に大型選手との対戦を求めてDRAGON GATEを退団し、打倒・武藤敬司の首を掲げてターゲットに定めており、フリーランスとして全日本プロレスに参戦していた。元々は、反・全日本プロレスという共通目的があった事で共闘関係が成立した。翌2月には元WWEのチャック・パルンボが加入し、チーム名も「ブードゥー・マーダーズ(VOODOO-MURDERS)」と発表された。さらに3月には、元WWEのジャイアント・バーナードが加入して勢力が増した。 その後、TARUと所属ユニットこそ違ってはいたが同じく元DRAGON GATE所属でもあった近藤修司と"brother"YASSHIもVMに加入した。 発展期2006年1月、諏訪間幸平が本隊を裏切って加入し、リングネームを現在の「諏訪魔」に改名した。同年9月、対立していたユニットRO&DのメンバーでもあるRO'Zが加入した。同月、RO&Dとのユニット解散をかけたタッグマッチを行い、これに勝利。試合中にRO&Dから寝返ったディーロ・ブラウンとブキャナンも加入。[注釈 1]。 10月、ハッスル20に“brother”YASSHI with TARU として参戦した。11月1日、プロレスリング・セムに近藤・YASSHIがSUWAのパートナーとして、TARUがセコンドとして参戦した。モハメド・ヨネ・石森太二・青木篤志組に勝利した後、TARUが観客を罵ったのをきっかけにプロレスリング・ノア勢と乱闘となった。 混迷期2007年6月、小島聡が加入した。7月には諏訪魔がTNAのスコット・スタイナーと共闘を果たし、10月にはシルバーキング、ゾディアックが加入した。 2008年1月、諏訪魔がVMを脱退したが、4月には元WWEのアル・ダバリが加入した。8月には小島が脱退すると、9月にはジョー・ドーリングが加入。しかし9月に近藤がVMを脱退、10月には新たに平井伸和が加入し、リングネームをヘイトに改名した。 2009年2月、新日本プロレスを退団してフリーになった田中稔が加入するも、YASSHIがプロレスを休業するため離脱した。その後、土方隆司が「歳三」のリングネームとして加入した。同年9月、ゾディアックが脱退した。 2010年1月、レネ・デュプリが加入し、2月にはF4との解散マッチに勝利した。6月にMAZADA、7月にKENSO、10月に河野真幸が加入した。後に鈴木がリングネームをKENSOに、河野がKONOに改名した。12月、KENSOとKONOが世界最強タッグ決定リーグ戦優勝を果たし、同月ダーク・オズ、ダーク・クエルボが加入。 2011年1月、KENSOとKONOが世界タッグ王座選手権に挑戦したが、試合中に仲間割れを起こし敗戦。試合後、KENZOが追放された。 だが、2011年5月29日に試合前の控室にてTARUがスーパー・ヘイトに対して暴行を行い、試合後にスーパー・ヘイトが倒れ病院へ救急搬送された。5月30日、TARUは試合前の控え室でスーパー・ヘイトに暴行を働いたことを会社に申告し、VMの無期限活動自粛を申し出た。これについて全日本プロレス側はTARUの申し出を了承したため、TARUの活動の無期限自粛、控え室に同席していた稔・河野・MAZADAの無期限出場停止処分及び保持する王座を剥奪、ユニットの解散処分を課した[1][2][3]。なお、外国人選手は控え室に同席していなかったため未処分となった。 その後、同席した稔・MAZADA・河野の3選手については、スーパー・ヘイトに対する暴行を行っていないとして6月30日付けで処分解除を決定した。稔とMAZADAは7月9日久喜大会で復帰、河野も、右肘手術のため引き続き欠場となった。 2011年11月22日、例の暴行事件により、兵庫県葺合署によってTARUとMAZADAの2人がスーパー・ヘイトへの傷害容疑で逮捕された。調べに対してTARUは、「日ごろの態度が悪いことを叱ったが、反省の色が見られず殴った」と自ら容疑を認めている[4]。 第2期復活2012年12月、ダイヤモンド・リングのホーム興行に"brother"YASSHIが乱入し、レスラー復帰を発表する。その後の記者会見にて拳剛(旧:西村賢吾)とブードゥーマーダーズ再始動を開始した。 2013年1月、TARUが復帰会見を行い、同グループへの合流も発表された。2月11日のダイヤモンド・リング・ホーム興行にて同団体所属の宮原健斗、ならびにKAIENTAI-DOJO所属の滝澤大志が合流した。第2期はダイヤモンド・リングの他、ZERO1、天龍プロジェクト、紅白プロレス合戦などに参戦している。 2014年7月、"brother"YASSHIが新体制となった全日本プロレスのリングに5年ぶりに登場した。リング上で参戦を要求すると、VOODOO-MURDERSとしてではなく"brother"YASSHI個人として出場し、試合終了後にはリング上でVOODOO-MURDERSを投入すると宣言しアピールした。が、全日本プロレスからは秋山準社長名義のコメントで「今の全日本プロレスにはスキャンダルは必要ありません。今後“brother”YASSHI選手をはじめとするVOODOO-MURDERSの全日本プロレス参戦はご遠慮いただきました」[5][6]と拒否され、予定されていたYASSHIのシリーズ参戦も白紙となった[5]。 2015年1月、全日本プロレス主催の『ジャイアント馬場 十七回忌特別大会』にTARUの参戦が発表され[7]、3年8ヶ月ぶりに全日本プロレスのリングに上がった[8]。試合ではYASSHIと拳剛も共に入場し、鉄パイプで対戦相手の相島勇人や太陽ケアを攻撃するなどかつてのやり方を貫く戦いを見せた[8]。なお、今回の参戦は、馬場の妻でもある馬場元子相談役のオファーによって実現したものであり、あくまでも特例であることが強調された形となった[7][8]。 2016年2月17日、CRYSIS興行にてYASSHIがVMを離脱すると発表した。 これに伴い、VMの活動を見直すことになり個々でのフリーランス活動となった。その後、TARUの20周年記念興行にて拳剛がみちのくプロレスのBAD BOY加入のため、TARUから追放された。興行中、離脱したYASSHIがTARUに対してビデオメッセージを送っている。 全日本再上陸2022年、3月21日の全日本・大田区大会にて、VMを脱退しエボリューションを率いていた諏訪魔がTARU、KONO、歳三と合体。その後、諏訪魔は5月29日の後楽園大会にて正式にVMに再加入した。 6月19日には歳三がGAORA TV チャンピオンシップを奪取。更に、諏訪魔が7月14日の後楽園大会でVMの悲願であった三冠ヘビー級王座、稔&歳三組がアジアタッグ王座を奪取するなど、VMの勢いは増していった。 その後、三冠王座は宮原健斗に、アジアタッグは佐藤光留&田村男児にそれぞれ奪取される。更に諏訪魔とTARUの間に亀裂が生まれるなど瓦解の危機もあったが、10月2日の後楽園大会で9月に凱旋帰国を果たしたばかりの斉藤ジュン&斉藤レイが加入したのをきっかけに、両者の関係は修復された。 2024年3月30日の大田区総合体育館大会にて斉藤ジュン&斉藤レイが諏訪魔&鈴木秀樹組を降し第99代世界タッグ王座を戴冠直後、リング上にてTARUから全日本プロレス撤退と所属メンバーだった斉藤ブラザーズ、KONO、歳三の卒業を通告した[9]。 抗争相手
全日本プロレス本隊、RO&D、健介ファミリーなど。リングソウルやビッグマウス・ラウドにも登場している。 抗争ではないものの、メンバーにはプロレスリング・エルドラドの所属選手が2人いたという縁から、TARUがGMとしてエルドラドにも登場したことがあった。 試合スタイル
結成当初は、凶器攻撃・罵倒文句の凄まじさが特徴的であった。2006年頃からは、対戦相手の口に試合会場地の名産物を押し込むなどのユーモラスな行動や、TARU水[注釈 2]と呼ばれる水を観客に浴びせるなどのギミックが登場している。 VOODOO-MURDERSは、あらゆるファイトスタイルに対応できる人材を持ち、興行にメリハリをつける上で全日本には欠かせない集団となった。ただ、アンチヒーロー的存在としてVMに声援を送るファンも多く、F4との解散マッチに勝った後にTARUが興行を締めるマイクを持つなど単に嫌われるだけのヒール軍団では無くなっていた。 メンバー第1期解散時のメンバー
元メンバー
共闘メンバー
第2期現メンバー
共闘メンバー元メンバー
タイトル歴第1期
第2期
脚注注釈
出典
外部リンク
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