FKジェリェズニチャル・サラエヴォ
フドバルスキ・クルブ・ジェリェズニチャル・サラエヴォ(ボスニア語: Fudbalski Klub Željezničar Sarajevo / ФК Жељезничар Сарајево)は、ボスニア・ヘルツェゴビナ、プロサッカーリーグ(プレミイェル・リーガ)に所属するクラブチーム。本拠地はサラエヴォ。 概要1921年9月19日、RSDジェリェズニチャル(Radničko športsko društvo Željezničar)として創設。後に総合スポーツクラブ、SDジェリェズニチャル(Sportsko društvo Željezničar)の一部門となった。クラブはサッカーの他に11部門を持つ。「ジェリェズニチャル」とは鉄道従業員の意で、クラブが鉄道従業員達によって設立された事に由来する[2]。略して「ジェリョ(Željo、欲望や願望といった意味も持つ)」、またはチームカラーから「プラヴィ(Pravi、青)」の愛称で呼ばれる。FKサラエヴォとの対戦はヴィエチティ・デルビとして盛り上がりを見せる。 1947年ユーゴスラビアリーグに参加し、1972年にはリーグ優勝を果たした。1部リーグには述べ34シーズン参加し、ボスニア・ヘルツェゴビナのクラブではFKサラエヴォに次ぐ数字となる[3]。UEFA主催の国際大会ではFKサラエヴォの実績を上回り、イビチャ・オシムがクラブを率いたUEFAカップ1984-85では準決勝まで進出した。国際サッカー歴史統計連盟 (IFFHS) が発表した20世紀ヨーロッパにおけるクラブランキングでは、ボスニア・ヘルツェゴビナのクラブとしては最上位の110位にランクされた[4]。イビチャの息子であるアマル・オシムも選手、監督として在籍し、監督として2009-10シーズン終了時までに3回の優勝を果たしている。 ホームスタジアムはスタディオン・グルバヴィツァ。1953年に開場した。スタジアムが立地するグルバヴィツァ地区はサラエヴォ郊外南西部に位置する住宅街で、内戦時には激しい市街戦が繰り広げられた(サラエヴォ包囲を参照)。内戦時の当地はセルビア人の占領下にあったため閉場され、1996年に使用が再開された。この地区を題材にした映画サラエボの花の公開時には、グルバヴィツァで8年間指揮を執ったイビチャ・オシムのコメントが寄せられた[5]。2004年に改築が全て終了し、球技専用場としては国内最大規模の24,000人収容となった[6]。スタジアムの横には新しくトレーニンググラウンドが設置され、蒸気機関車が置かれている。 タイトル国内タイトル
国際タイトル
過去の成績
欧州の成績
現所属メンバー
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
歴代監督
歴代所属選手→詳細は「Category:FKジェリェズニチャル・サラエヴォの選手」を参照
脚注
外部リンク |