2012年のル・マン24時間レース
2012年のル・マン24時間レース(仏: 24 Heures du Mans 2012)は、80回目のル・マン24時間レースであり、2012年のFIA 世界耐久選手権[1]第3戦として、2012年6月16日から6月17日にかけてフランスのサルト・サーキットで行われた。 2012年はマルセル・フェスラー、ブノワ・トレルイエ、アンドレ・ロッテラーがドライブするアウディ・R18 e-tron クアトロが総合優勝を果たした。これは姉妹車であるアウディ・R18のハイブリッド・バージョンであった[2]。ラップ数は通常動力バージョンのR18 ウルトラを3ラップ上回った。この勝利はハイブリッド車による初の勝利であり[3]、同時に4輪駆動車による初勝利であった[4]。 スケジュールテストセッションは決勝の2週間前、6月3日に実施された。これはフォーミュラ1のイベントとの衝突を避けるためのものであった[5]。決勝もF1イベントとの衝突を避けるように計画された。
エントリー2012年はフランス西部自動車クラブ (ACO) が56台のエントリーを認めた2年目のシーズンである。エントリーはLMP1(ル・マン・プロトタイプ 1)、LMP2(ル・マン・プロトタイプ 2)、LMGTE Pro(ル・マンGTエンデュランス・プロフェッショナル)、LMGTE Am(ル・マンGTエンデュランス・アマチュア)に区分された。最終、56番目のエントリーはニッサン製エンジンを搭載したデルタウィングであるが、これはいずれのカテゴリにも所属しない。 自動エントリー自動エントリーの権利は前年度チャンピオン、またはアメリカン・ル・マン・シリーズ、ル・マン・シリーズ、プチ・ル・マンといったル・マンをベースとしたシリーズの優勝者に与えられる。またいくつかのシリーズは2位にも与えられた。これに加えミシュラン・エナジー・エンデュランス・チャレンジ勝者にも与えられた。また、フォーミュラ・ル・マンの勝者にも与えられた[8]。 自動エントリーが認められたチームは、車両は前年度の車両から変更することができるが、カテゴリーの変更は認められない。しかしながら、2つのGTEカテゴリーでは、これらのチームによって選ばれたドライバーラインアップに基づくチーム間での交換が可能である。アメリカン・ル・マン・シリーズはプロとアマチュアのカテゴリーが分けられていないので、自動エントリーは1チームのみとなった。
56番目のエントリー2012年の56番目のエントリーについてACOはエコ技術のプロモートのためのエントリーとした。3つのプロジェクトがACOに承認され、その中からアメリカのグループ、プロジェクト56によるデルタウィングのコンセプトが出場することとなった。これは元々インディカー・シリーズのために提案されたプロジェクトであった。非常に軽量な車両はユニークなレイアウトを持ち、ル・マン・プロトタイプとはかけ離れたスタイルであった。このプロジェクトはハイクロフト・レーシング、オール・アメリカン・レーサーズ、パノス・グループからの支援を受けた[9]。デルタウィング・チームが撤退した場合のリザーブエントリーは、スイスで開発されたグリーンGT LMP-H2、これは水素燃料電池を用いたモーターを使用したル・マン・プロトタイプのボディを持つ車両[10]と、もう一つ、フランスのクラージュ 0.12、電気自動車[11]であった。 エントリーリスト2012年のFIA 世界耐久選手権のエントリー発表に関連して、ACOはル・マンに参戦する56台の完全なエントリーリスト、加えてリザーブ9台を発表した[12]。4月16日、ACOは改訂リストを発表し、ダイソン・レーシングの撤退が明らかになった。ステータス・グランプリとマーフィー・プロトタイプスがダイソンに代わってリザーブリストから追加になった。また、リザーブリストからいくつかのチームの撤退が発表され、その中にはジェットアライアンス・レーシング、ホープ・レーシング、ロータス・カーズ、アストンマーティン・レーシングが含まれた。 当初の9台のリザーブ・エントリーはLMP5台、GTE4台に割り振られた。最初のリザーブリストのいずれのクラスの車よりも、撤退するLMPクラスの車には別のLMPクラスの車が代わって出場できる。そして、これらは同様にGTにも適用される。この過程においてLMPとGTの中の特定クラスは考慮されない。テストデー当日はリザーブエントリーの内の3台が残った状態で、それらはロータスのLMPの2台目、IMSA・パフォーマンス・マットムートのLMGTE Proのポルシェ、プロトン・コンペティションのLMGTE Amのポルシェであった[12]。 予選予選は3回、各2時間ずつ行われた。第1セッションは水曜の夜に行われ、アウディのトリオがリードした。1番車は3:25.453のラップタイムを記録した。トヨタ・TS030の第1セッションにおけるタイムはアウディに1.7秒遅れの4位であった。ティリエ・バイ・TDS・レーシングのオレカ-ニッサンはマーフィー・プロトタイプスは0.2秒の差を付けてLMP2をリードした。LMGTE Proカテゴリーのトップはコルベット・レーシングの74番車で3:55.910というタイムでラグジュアリー・レーシングのフェラーリとコルベット73番車の上に立った。LMGTE Amカテゴリーのトップはフライング・リザード・モータースポーツで、プロスピードのポルシェを0.5秒上回った。 予選第2セッションは木曜日の夜に行われた。大半の車が前日のタイムを上回り、暫定ポールポジションは3:24.078でアウディの3番車となった。LMP2カテゴリーではオーク・レーシングのモーガン-ジャッド24番車がシグナテックのオレカ-ニッサンを上回った。LMGTE Proカテゴリーではラグジュアリー・レーシングがコルベットに代わって0.5秒以上の差を付けてトップに躍り出て、アストンマーティンも2位に浮上した。フライング・リザードのタイムは変わらず、LMGTE Amカテゴリーのトップを維持した。 最終セッションは木曜日の終わりに行われ、セッション始めに前年チャンピオンのアンドレ・ロッテラーが3:23.787というタイムをたたき出す。結局これがポールタイムとなり、アウディ・R18 e-tron クアトロ1番車がハイブリッド車として初のポールポジションを獲得した。アウディの3番車は第2セッションのタイムが最速となり、トップから0.2秒遅れの2番手となった。トヨタの8番車は1秒遅れの3番手となった。ADR-デルタはオーク・レーシングに0.5秒差を付けてLMP2カテゴリーのポールシッターとなった。LMGTEカテゴリーはいずれもタイムを縮めることができず、ラグジュアリー・レーシングのフェラーリとフライング・リザードのタイムのポルシェがポールシッターとなる。カテゴリー未分類のデルタウィングは第1セッションで3:42.612を出し、総合29番手となった。 ジャン=クリストフ・ブイヨンは水曜日の予選セッション前の事故で負傷、肋骨に痛みを訴え、2日後に予選から除外された[13]。代わりのドライバーは見つからなかったため、ペスカロロ-ジャッドの16番車はエマニュエル・コラールとスチュワート・ホールのみで参加した。 予選結果各クラスのポールポジションは太字で表示。最速タイムは灰色地で表示。
注: 決勝アウディのマルセル・フェスラー、ブノワ・トレルイエ、アンドレ・ロッテラー組がチームメイトに1ラップ差を付けて総合優勝した[2]。アウディにとっては11回目、ヨースト・レーシングにとって12回目のル・マン優勝であった。また、アウディ・R18 e-tron クアトロはル・マンに優勝した初のハイブリッド車となった[3]。加えて、初の四輪駆動車でもあった[4]。優勝車は5151.8 kmを走行し、33回ピットストップを行った。アウディに対する1番の対抗馬であったトヨタは1999年以来の復帰であったが、いくつかのアクシデントとメカニカルトラブルのためいずれもリタイアとなった。アンソニー・デビッドソンのドライブした8番車は5時間を経過した時点でマルセーヌ・コーナーでAFコルセのフェラーリ81番車によって追突され、宙を舞って大破した。フェラーリはタイヤバリアに衝突した後ひっくり返って屋根から着地した。デビッドソンはこの事故で2つの脊椎を骨折したが、事故後直ちに自ら脱出した[15]。中嶋一貴のドライブした7番車は、デビッドソンの事故後、1時間後のセーフティカー明けの再スタートでデルタウィングとポルシェカーブで接触した[16]。接触の後、別のメカニカルトラブルで長い時間をかけて修理が行われたが、11時間経過の時点でエンジントラブルによりリタイアした。 LMP2カテゴリーはアメリカのスターワークス・モータースポーツ、ライアン・ダルジール、エンツォ・ポトリッチオ、トム・キンバー=スミス組のHPD・ARX-03bが優勝した。LMGTE ProカテゴリーはAFコルセ、ジャンカルロ・フィジケラ、ジャンマリア・ブルーニ、トニ・バイランダー組のフェラーリ51番車、LMGTE Amカテゴリーはラルブル・コンペティション、パトリック・ボーンハウザー、ジュリアン・カナル、ペドロ・ラミー組のコルベット50番車が優勝した[17]。決勝の行われた週末には24万人の観客動員となった[18]。 決勝結果各クラスの勝者は太字で表示。優勝ラップ数の70%(264)に満たない車両は非完走 (NC) で表示[19]。
参照
外部リンク
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