1995年のオールスターゲーム (日本プロ野球)
1995年のオールスターゲームは、1995年7月に行われた日本プロ野球のオールスターゲーム。 試合概要前年、10.8決戦でセ・リーグ優勝し、日本選手権シリーズも制した読売ジャイアンツの長嶋茂雄監督が17年ぶりに全セ(オールセントラル・リーグ)の指揮をとり、パ・リーグは前年優勝の西武ライオンズの森祇晶監督が全パ(オールパシフィック・リーグ)が退団したため、この年から西武の監督になった東尾修が全パの指揮をとった(東尾が優勝監督として全パを指揮するのは1998年になってからだった)。当初コーチを務める予定だった高木守道が成績不振を理由に監督を辞任し、徳武定祐監督代行も成績不振を理由に退任、最終的には木俣達彦がコーチを務めた。なお、オールスターゲームに先立ち、この年の1月17日に発生した阪神・淡路大震災被災者支援のためにボビー・バレンタイン監督(ロッテ)率いる外国人選抜チーム対王貞治監督(ダイエー)監督率いる日本人選抜チームによる「ドリームゲーム」が開催された。 「ハマの大魔神」として抑え専門で活躍した佐々木主浩が全セの先発を担った第1戦は1点を争う好ゲームとなり、全セが1点ビハインドで迎えた8回裏、主砲・落合博満の1発で同点に追いつき、そのまま引き分けに持ち込んだ。続く第2戦も1点を争う展開となるも松井秀喜(巨人)、金本知憲(広島)のバットで7-6でからくも勝利をもぎ取った。 なおこの年からは、従来審判6人制であったオールスターゲームにおいても審判4人制で行われることとなった(1998年まで、1999年以降は6人制が復活)。 第一戦は横浜スタジアムで行われたが、これに対し横浜球団社長らは、ゲームを盛り上げるためにファンに対してファン投票への参加を呼びかけた。ところが、これが大量の「組織票」を発生させる結果となってしまい、本拠地開催となった横浜からは佐々木主浩と駒田徳広、ロバート・ローズ、佐伯貴弘、グレン・ブラッグス、畠山準の6人が選ばれたため、批判の的となった(他の3名は古田敦也と江藤智、野村謙二郎)。特に佐伯と畠山に至ってはノミネートこそされていたものの、選出時点ではスタメンを波留敏夫や鈴木尚典に譲ることが多くレギュラーとは言えなかった。なお、巨人の選手が1人もファン投票で選出されなかったのは、史上初の出来事となった。 広島市民球場でのオールスターゲームの開催はこの年の第2戦が最後となった。 選出選手
試合結果第1戦オーダー
第2戦オーダー
阪神大震災復興支援チャリティードリームゲームオールスターゲームに先駆けてこの年の1月17日に起きた阪神・淡路大震災の支援を目的として開催されたドリームマッチ。日本人選抜で構成された「ジャパンドリームチーム」と外国籍選手選抜及び野球留学経験のある日本人捕手で構成された「フォーリンドリームチーム」が対決。選手は一切のギャランティを受け取らず、球場使用料も無料という完全なるチャリティーに終始した試合だった。試合はジャパンドリームに2本塁打が出たものの、本場メジャーリーグ仕込のプレーを見せ付けたフォーリンドリームが勝利し、試合収益約1億円を寄付した。 7月24日 福岡ドーム 開始19:00(試合時間:2時間32分) 観衆数/32,000人 オーダー
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