1975年のロッテオリオンズでは、1975年のロッテオリオンズの動向についてまとめる。
この年のロッテオリオンズは、金田正一監督の3年目のシーズンである。
概要
このシーズンからパ・リーグでは指名打者制度が導入され、各球団は打線の組み方から投手交代のタイミングまで采配を大きく変更することを余儀なくされた。前年念願の日本一を達成したロッテだが、主砲のジョージ・アルトマンが退団(その後阪神タイガースにテスト入団)したため、新たな主砲としてジミー・ロザリオを獲得してシーズンに望んだものの、ロザリオはまったく打てずに5月に解雇、さらにジム・ラフィーバーも金田監督との対立で6月に登録抹消(その後引退しコーチに)、追い打ちをかける様に金田留広・木樽正明・村田兆治・成田文男の「4本柱」の内、金田が勝てず木樽も腰痛で村田・成田に頼る有様。6月には新たな外国人選手として、ラファエル・バティスタ(バチスタ)とビル・マクナルティを獲得したが、バチスタの初打席初本塁打が目立つ程度。総合では4位に落ちた。そして外国人選手に泣かされるのは、翌1976年も続く。開幕投手の村田兆治は抑え投手に配置転換され、13セーブを上げて最優秀防御率のタイトルを獲得した。
チーム成績
レギュラーシーズン
1975年パシフィック・リーグ順位変動
前期
順位
|
4月終了時
|
5月終了時
|
前期成績
|
1位
|
阪急 |
--
|
阪急 |
--
|
阪急 |
--
|
2位
|
太平洋 |
2.5
|
太平洋 |
2.5
|
太平洋 |
6.0
|
3位
|
ロッテ |
3.5
|
近鉄 |
3.5
|
近鉄 |
6.0
|
4位
|
近鉄 |
3.5
|
ロッテ |
7.0
|
日本ハム |
8.0
|
5位
|
日本ハム |
4.0
|
日本ハム |
7.0
|
南海 |
9.0
|
6位
|
南海 |
4.5
|
南海 |
10.0
|
ロッテ |
10.0
|
|
後期
順位
|
7月終了時
|
8月終了時
|
後期成績
|
1位
|
近鉄 |
--
|
近鉄 |
--
|
近鉄 |
--
|
2位
|
ロッテ
|
ロッテ |
3.0
|
ロッテ |
9.5
|
3位
|
阪急
|
太平洋 |
4.5
|
南海 |
11.5
|
4位
|
日本ハム |
1.0
|
日本ハム |
5.5
|
太平洋 |
12.5
|
5位
|
南海 |
2.0
|
阪急 |
5.5
|
日本ハム
|
6位
|
太平洋 |
3.0
|
南海 |
8.5
|
阪急 |
14.0
|
|
*優勝はプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定
オールスターゲーム1975
できごと
選手・スタッフ
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監督 | |
---|
一軍コーチ | |
---|
二軍監督・コーチ | |
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投手 | |
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捕手 | |
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内野手 | |
---|
外野手 | |
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[2]
表彰選手
ベストナイン
|
選手名 |
ポジション |
回数
|
有藤通世 |
三塁手 |
7年連続7度目
|
弘田澄男 |
外野手 |
初受賞
|
ダイヤモンドグラブ賞
|
選手名 |
ポジション |
回数
|
有藤通世 |
三塁手 |
4年連続4度目
|
弘田澄男 |
外野手 |
3年連続3度目
|
ドラフト
脚注
注釈
出典
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1958年開幕直前に大映ユニオンズと球団合併 |