飯島多紀哉
飯島 多紀哉(いいじま たきや、1963年7月31日 - )は日本のゲームクリエイター、ゲームシナリオライター、小説家。東京都出身。日本大学芸術学部映画学科卒業。既婚、三児の父。本名および旧ペンネームは飯島健男(いいじま たけお)。 代表作に『ラストハルマゲドン』『BURAI』『ONIシリーズ』『学校であった怖い話』『四八(仮)』『アパシー 鳴神学園七不思議』など。 略歴1982年、日本大学藝術学部入学。映画学科の演技コースに所属し、高校生も含むコントグループで活動していた。テレビ番組の「お笑いスター誕生!!」への出演も決まったが、直前にメンバーの高校生が学校から厳重注意を受け、グループは解散となった。 1986年の大学卒業後は、光栄(現:コーエー)のアルバイト経験を経て、同社に入社。歴史シミュレーションゲームの制作に携わる。 1987年、1年間勤務した後、光栄(現:コーエー)を退職。元同僚・友人らとともに新会社ブレイングレイを設立、同社の代表取締役に就任。同年秋、ザッピング・システムをゲームに取り入れた作品『抜忍伝説』にてデビューする。 1988年、代表作である『ラストハルマゲドン』を世に送り出す。同作品の大ヒット後、活動方針の相違によりブレイングレイを退職し、新会社パンドラボックスを設立。著作活動を活発化させる。以後の経緯はパンドラボックスの項を参照のこと。 2001年、自社ブランド『パンドラMAXシリーズ』失敗により、すべての創作活動を休止。親戚の勧めでインドネシアに渡航し、翻訳業に従事していたが、長男が日本での就学を希望したことを機に帰国。帰国後はゲーム学校の講師に就き、再始動の準備を進めていた。 2006年、『四八(仮)』のシナリオライターとして、公に姿を現す(当初はイニシャルであるT.I名義)。ペンネームを飯島多紀哉に改め、休眠状態にあったパンドラボックスの版権を受け継ぐ新会社シャノンを設立する。 また、他社にシナリオのみを渡し、制作を委託するという構造に限界を感じ、シャノンと同時期に設立した同人サークル七転び八転がりを軸にインディーズ作品を順次送り出している。 現在リリースされているのは飯島のシナリオの中でも評価の高い『学校であった怖い話』の世界を引き継いだ『アパシー・シリーズ』。2007年夏に発表された『アパシー 学校であった怖い話 〜Visual Novel Version〜』、同年冬に発表された『アパシー ミッドナイト・コレクション vol.1』は両作品ともに1万本を越える売り上げを記録した。 しかし『四八(仮)』はその出来から酷評され[1]、以後は主な活動の場を同人に移し、コンシューマーとしては『パンドラMAXシリーズ』をゲームアーカイブスで配信するに留まっていた。 2011年、末娘の世界ジュニアゴルフ選手権優勝を期に子供達のゴルフ育成に専念し、創作活動を再び休止する。しかし2014年から妻の協力を得て小説版『学校であった怖い話』の出版、過去作のkindle化など、創作活動を徐々に再開する。 2017年、かつて同人、ケータイアプリで展開していた『送り犬』のNintendo Switchでのリメイクを発表し、2018年に発売された。約10年ぶりのコンシューマー作品復帰となる。 2018年、子供達のゴルフが一段落した事で本格的にゲーム制作の場に復帰。長女の海凪(みなぐ)を開発スタッフに迎え、アパシー・シリーズの新作をリリースし始める。 2021年、コンシューマーにおけるアパシー・シリーズとしては約15年ぶりとなる『アパシー鳴神学園七不思議』を発表する。 ゲーム作品飯島健男名義PC-8800シリーズ
PC-9800シリーズ
X1シリーズFM-TOWNSファミリーコンピュータゲームボーイ
スーパーファミコン
PCエンジン
メガCDNINTENDO64
PlayStation
飯島多紀哉名義PlayStation 2
ニンテンドーDS
Nintendo Switch
同人作品
著作小説
エッセイ
その他
脚注
関連項目外部リンク
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