難波正
難波 正(なんば まさし、1859年5月14日(安政6年4月12日) - 1920年(大正9年)12月22日)は、元電気学会会長の工学博士。東京物理学講習所(後の東京物理学校、現在の東京理科大学)の創立者の一人である。京都の疏水を利用した発電法の考案のほか、蓄電池の研究・開発を行った。 経歴
家族長男の難波幸一は九州帝国大学電気工学科卒、同大学名誉教授、次男の難波勝二は京都帝国大学法学部卒業後、横浜正金銀行を経て東洋大学名誉教授、五男の難波捷吾は国際電気通信技師、次女・春江の夫は住友原子力工業取締役・高州紀雄、三女・環の夫は京福電気鉄道専務・石川敬介(同社会長石川芳次郎長男)[1][1][4][5]。 栄典・授章・授賞
脚注
外部リンク
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