隠岐諸島(おきしょとう)は、島根半島の北方約50 kmに位置する島々である。隠岐群島(おきぐんとう)、隠岐島(おきのしま)とも呼ばれる[注 1]。 現在は島根県隠岐郡。山陰地方では今[1]でも隠岐諸島を指して隠岐国(おきのくに)と呼ぶ場合がある。
隠岐諸島は本州南西部の島根半島の北の日本海、北緯36度付近に位置する。隠岐諸島は島後水道を境に島前(どうぜん)と島後(どうご)に分けられる。
島前は「島前三島」と呼ばれる知夫里島(知夫村)、中ノ島(海士町)、西ノ島(西ノ島町)から構成される群島である。これに対し、島後は1島(隠岐の島町)のみである。島後の面積は約242 km2で、日本列島では徳之島に次いで大きく、15番目の面積を持つ[2]。主な島は、これら4島だが、付属の小島は約180を数える。
隠岐諸島の最高峰は島後の中央やや東側に所在する大満寺山で、山頂の標高は608 mである。かつては摩尼山と呼称された。
島根県は隠岐諸島を管轄する隠岐支庁を置いており、支庁所在地は隠岐の島町(旧西郷町)である。人口18,033人、面積345.93km²、人口密度52.1人/km²。(2024年11月1日、推計人口)
1963年に隠岐諸島のほぼ全域が、大山隠岐国立公園に指定された。特に、島前の西ノ島町に所在する国賀海岸は、高さ100 mから257 mに達する海食崖が連なった景勝地として知られる。
隠岐諸島にはユーラシア大陸の縁辺であった時代と、島根半島の先端であった時代とがある[3][4]。同諸島と島根半島の間の水深は70 mほどで[3]、2万年前の氷期には現在より海面が130 mほど低下し半島と陸続きとなっていた[3]。その後の海面の上昇によって約1万年前に現在のような離島となった[3]。
また同諸島は、約500万年前に活動した火山でもある。侵食作用によって火山地形が失われたため、火山としてではなく第三紀の火山岩類として扱われる[注 2]。島前火山はカルデラを形成しており、その中央火口丘が焼火山(たくひやま)である[5]。
火山の酸性土壌が多いため、隠岐の牧畑といった原始的農法も近年まで続けられた[6]。
産出する黒曜石[7]は日本列島に居住した先史時代人類によって利用された[8]。
隠岐諸島には縄文時代の早期か前期まではヒトが住みつき、本州と活発な交流が有った痕跡が、出土した石器や土器に現れている。
『古事記』では「隠伎之三子島(おきのみつごのしま)」と記される[9]。
日本神話「因幡の白兎」に登場し、古代には隠岐諸島に隠岐国が置かれていた。古くから遠流の島として知られ(例として、『続日本紀』天平宝字8年9月18日条など)、小野篁、伴健岑、藤原千晴、平致頼、源義親、板垣兼信、佐々木広綱、後鳥羽上皇、後醍醐天皇、飛鳥井雅賢などが流された。
中世には国府尾城(甲尾城)の隠岐氏が隠岐守護代として隠岐を支配した。隠岐守護は出雲の京極氏や尼子氏が兼ねたものの、本人が渡海した試しは無かった。
近世は初め出雲の堀尾氏や京極氏の分国であったが、後に江戸幕府の直轄領(天領)にされた。天領の統治は出雲の松平氏が任された。江戸時代に入ると、隠岐は西廻り航路に組み入れられ、北前船の風待ち港として繁栄し、日本各地の文化が流入した。明治元年(1868年)には松江藩と隠岐在住の住民間で隠岐騒動(雲藩騒動)と呼ばれる一連の騒動が発生した。
特異な民俗行事としては、「隠岐の牛突き」が知られる。配流された後鳥羽上皇が喜んだという口承が伝わる日本最古の闘牛である。また隠岐には古典相撲が伝わっており、神社の遷宮やトンネル完工、校舎の新築など公共の慶祝事業に伴って、神社や仏教寺院の境内、学校の校庭など至る所で、土俵が設置される。なお、隠岐方言は雲伯方言に属している。
隠岐諸島および海岸から1 kmの海域を合わせた、673.5 km2の範囲を「隠岐ユネスコ世界ジオパーク」(隠岐ジオパーク)として、2009年10月に日本ジオパークネットワークに、2013年9月には世界ジオパークネットワークに認定された[10][11]。これは、日本国内では6地域目の認定である。これを受けて、島後に所在する隠岐空港にも「隠岐世界ジオパーク空港」の名が付された。
隠岐諸島内での主な交通手段として、レンタカー、観光タクシー、観光バス、サイクリング、路線バス、貸切バスが挙げられる[12]。ただし、路線バスは運行本数が少ない点に注意したい[13]。
島前・島後間はフェリーまたは高速船レインボージェットで、島前3島間は内航船で移動できる[14]。
隠岐諸島への一般的なアクセス方法は、フェリー、高速船、飛行機の3通りがある。
通年運行のフェリーは約2時間30分で本州と隠岐を結ぶ。高速船での所要時間は約1時間だが、冬期は運行していない。航空便については、島後に隠岐空港があり、出雲空港と大阪国際空港にそれぞれ1日1往復の便が運行されている。大阪国際空港発着の便は、夏期に機材が大型化(ボーイング737-800)される。
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