野稲城
野稲城(のいねじょう)は、広島県三次市向江田町字下山手[2]にあった日本の城。天良山の南側の丘に位置する[3]。 概要土居(土塁)跡も発見されており、13世紀-14世紀に藤原氏の系統に連なる地頭・広沢実村(地名の和智氏を名乗る[4])の一男江田(えた)実綱氏の居城(居館)かもしれない。しかし、江田氏の居館跡については不明である。 1302年に後深草院二条(久我雅忠の娘)が厳島神社詣での帰路に立ち寄った和智一族江田氏の居館で、「世を厭ふならいながらも高簀垣 憂き節々は 冬ぞ悲しき」と詠んだと日記『とはずがたり』5巻に書かれている。 江田氏の居館は、天良山[5]、江田川之内町・向江田町付近[6]、向江田町[7]または地名の脱落があり海岸に近い所の地名かも知れない[8]と校注されている。和智邸の女房達から「あなたざまも御覧ぜよ。絵のうつくしき」と江田邸に行くことを薦められている[9]ことから風光明媚な場所であったと思われる。 脚注
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