近南極星区(きんなんきょくせいく)は、中国における星官(星座)の区分のひとつで、それまで中原地方では観測されなかった三垣二十八舎に含まれない天の南極周辺の領域のことである。北宋時代に成立した『蘇頌星図』の 「渾象南極圖」では、まだこの領域は空白で何も描かれていなかった。
明末期の崇禎帝の時世にイエズス会士アダム・シャール(湯若望)が徐光啓らとともに編纂した天文書 『崇禎暦書』(1631-35年) には、この領域に西洋の星表に基づいた23個の星座が追加されている。ヨハン・バイエルの『ウラノメトリア』(1603年)の影響が大きいとされている。それは、この領域に追加された星官の名称がバイエル星座の翻訳であったり、それと関連性のある命名がなされているからである。当時、北京天文台には『ウラノメトリア』が2部所蔵されていたという[1]。
近南極星区にある星官は、『明史』「天文志」にも見えており、また、徐光啓が作成した2番目の星図『赤道両総星図』のほか、フェルディナント・フェルビースト(南懐仁)の『霊台儀象志』(1624年)や清代になって成立したイグナツィウス・ケーグラー(戴進賢)の欽定『儀象考成』(1757年)にも取り入れられている。『儀象考成』で増加した星については、ジョン・フラムスティードの『大英天球誌』(予備版:1712年、修訂版:1725年)に依拠していたとの説もある[2][3]。
星官
脚注
- ^ 方豪 『李之藻研究』 1979年、96頁。
- ^ 陳遵嬀 『中国天文学史』 第1冊、上海人民出版社、1980年、251頁。
- ^ 伊世同 『中西対照恒星図表』 科学出版社、1981年、187頁。
- ^ 香港太空館 - 中國星區、星官及星名英譯表
- ^ +は『儀象考成』で増加した星数。
- ^ 伊世同編『中西対照恒星図表』(1981年)による。
- ^ 香港太空館 - 亮星中英對照表
- ^ Allen (1963): p. 155.
- ^ Allen (1963): p. 190.
- ^ a b Allen (1963): p. 154.
- ^ Allen (1963): p. 291.
- ^ Allen (1963): p. 417.
- ^ Allen (1963): p. 44.
- ^ Allen (1963): p. 321.
- ^ Allen (1963): p. 251.
- ^ a b c d Allen (1963): p. 250.
- ^ Allen (1963): p. 418.
- ^ Allen (1963): p. 238.
- ^ Allen (1963): p. 336.
- ^ Allen (1963): p. 218.
- ^ a b Allen (1963): p. 102.
- ^ Allen (1963): p. 75.
- ^ Allen (1963): p. 347.
- ^ Allen (1963): p. 349.
- ^ Allen (1963): p. 165.
参考文献