谷地軌道(やちきどう)は、かつて山形県で奥羽本線神町駅と現在の河北町谷地を結んでいた軌道線、およびそれを運営していた軌道事業者である。1916年(大正5年)1月27日に開業したが、1935年(昭和10年)10月1日に廃止となった。
谷地軌道株式会社は永松・幸生銅山に関連する輸送と谷地で生産された草履表の運搬を目的として1915年に升川勝作により設立され、翌年開業した。最初の1年は最上川を渡る谷地橋の工事が遅れていたためその直前に山王駅[1](仮谷地駅[2])を置いた。昭和初期までは経営が順調だったがその後自動車輸送の台頭で経営が悪化し、最終的には老朽化した谷地橋の掛け替えができないため1935年9月30日の便をもって運転を終了し翌日廃止となった[1]。
また谷地町から白岩町までの鉄道敷設免許を保有していた。白岩町には古河財閥の経営する永松鉱山がありこの物資輸送の手段として白岩町延長計画が立てられた、古河としても馬車や荷車に代わる鉄道輸送に期待し建設費援助の申出があった。しかし第一次大戦中の好景気は物価高騰をもたらし当初の建設資金では不足し、また地権者の反対運動もあり工事は進まなくり、さらに1918年(大正7年)頃から永松鉱山の産出量が急減したため古河は方針を転換し谷地軌道への援助を撤回することを宣言した。そして左沢軽便線(左沢線)が1922年(大正11年)に全通することから白岩町延長は断念することになった。
歴史
営業路線
運行概要
- 1916年時点
- 神町駅、谷地駅発の列車は共に1日8本。全線の所要時間は約31分[18]。
1934年では1日3往復。併行して同社のバスが8往復運行[19]
輸送・収支実績
年度
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輸送人員(人)
|
貨物量(トン)
|
営業収入(円)
|
営業費(円)
|
営業益金(円)
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その他益金(円)
|
その他損金(円)
|
支払利子(円)
|
1916 |
53,040 |
5,915 |
7,731 |
6,340 |
1,391 |
|
|
|
1917 |
63,894 |
13,742 |
13,416 |
9,035 |
4,381 |
|
|
|
1918 |
81,811 |
16,047 |
18,940 |
18,035 |
905 |
|
|
|
1919 |
92,627 |
17,580 |
29,588 |
24,927 |
4,661 |
|
|
|
1920 |
99,927 |
12,528 |
35,590 |
34,459 |
1,131 |
不用軌条3,000 |
雑損366 |
|
1921 |
92,080 |
12,895 |
36,209 |
27,218 |
8,991 |
|
|
|
1922 |
83,033 |
10,067 |
35,521 |
25,863 |
9,658 |
|
|
|
1923 |
81,951 |
10,263 |
38,332 |
30,251 |
8,081 |
|
1,381 |
|
1924 |
94,716 |
13,360 |
41,483 |
27,699 |
13,784 |
|
|
|
1925 |
96,123 |
12,585 |
42,832 |
27,019 |
15,813 |
|
雑損200 |
30
|
1926 |
95,845 |
12,845 |
42,378 |
25,205 |
17,173 |
|
雑損377 |
|
1927 |
92,926 |
11,298 |
40,280 |
27,319 |
12,961 |
|
99 |
|
1928 |
79,585 |
7,920 |
33,336 |
28,476 |
4,860 |
|
雑損580 |
|
1929 |
65,591 |
7,907 |
29,278 |
23,676 |
5,602 |
自動車2,950 |
|
|
1930 |
44,482 |
4,503 |
17,872 |
18,425 |
▲ 553 |
自動車1,404 |
雑損1,450 |
|
1931 |
52,028 |
4,054 |
18,431 |
15,968 |
2,463 |
自動車1,206 |
雑損1,700 |
|
1932 |
39,757 |
3,282 |
14,107 |
13,275 |
832 |
自動車686 |
雑損1,200 |
|
1933 |
42,420 |
3,235 |
13,813 |
13,429 |
384 |
自動車1,744 |
雑損1,550 |
|
1934 |
43,577 |
3,305 |
15,285 |
12,552 |
2,733 |
自動車480 |
雑損600 |
|
1935 |
32,960 |
2,480 |
11,555 |
10,633 |
922 |
自動車370 |
|
|
- 鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料各年度版
車両
この路線を走っていた蒸気機関車は火の粉を防止するため煙突に火の粉止めをつけており、その形状が里芋に似ていたため「いもこ列車」と呼ばれた[20]。しかし、煤煙被害を止めることはできず、その賠償が経営の負担となった。内燃機関車の導入も計画されたが試運転の結果が悪かったので断念した[21][22]。
- 機関車は3両、開業時に1・2大日本軌道製サイドタンク式 1927年に雨宮製作所製ボトムタンク式3が増備された。廃線後レールと共に東京の五十嵐商店に売却
- 客車は木製ボギー客車二三等合造客車(定員36人)2両、三等客車(定員48人)1両。廃線後二三等合造客車2両は十勝鉄道へ、三等客車は赤穂鉄道に売却[23][24]
- 貨車は計6両。ボギー有蓋貨車2両、ボギー無蓋貨車2両、2軸無蓋貨車2両
駅一覧
接続路線
代替輸送
現在、さくらんぼ東根駅 - 河北町谷地を東根市市民バスと河北町路線バスが運行している[25]。また、山形交通は平日朝一便のみ白岩から谷地への路線を運行している。
保存車両
現在河北中央公園で当路線を走った蒸気機関車を復元したものが動態保存されている[20]。この車両を使い、駅と紅花資料館を結ぶ路線を敷設する計画や、客車を作ってより長距離を走らせる計画もあったが、バブル崩壊により立ち消えになった。[26]
脚注
参考文献
- 堤一郎「谷地軌道とその車両」『RailFan』No.400・415
- 谷地軌道研究会『いもこ列車-谷地軌道物語-』2013年
- 『河北町の歴史』中巻、1966年、857-887頁
- 『第十門・私設鉄道及軌道・三、軽便・谷地軌道・失効・大正五年~大正十二年』(国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)
- 『第十門・地方鉄道及陸運・三、軌道・谷地軌道・営業廃止・巻二・大正八年~昭和十年』(国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)
関連項目
外部リンク
- いもこ列車 - 河北町
- 升川建設谷地駅と機関車の写真。升川建設(升川勝作が会社設立)は谷地軌道関係の書類を保管している
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