ヒンドゥー教 用語 解脱英語
Deliverance, emancipation, liberation, release サンスクリット語
मोक्ष (mokṣa ), विमुक्ति (vimukti ) バリ語
ᬫᭀᬓ᭄ᬲ (moksa ) ベンガル語
মোক্ষ (mokkho ) グジャラート語
મોક્ષ (mōkṣa ) ヒンディー語
मोक्ष (moksh ) ジャワ語
ꦩꦺꦴꦏ꧀ꦱ (moksa ) カンナダ語
ಮೋಕ್ಷ (mōkṣa ) マラヤーラム語
മോക്ഷം (mōkṣaṁ ) ネパール語
मोक्ष (moksh ) オリヤー語
ମୋକ୍ଷ (mokhya ) パンジャブ語
ਮੋਕਸ਼ (mōkaśa ) タミル語
துறவு-முக்தி-வீடுபேறு-விடுதலை (tuṟavu-mukti-vīṭupēṟu-viḍutalai ) テルグ語
మోక్షం (moksham ) 日本語
解脱
宝結びの意匠
解脱 (げだつ、梵 : vimokṣa [ 1] , ヴィモークシャ、mokṣa [ 1] , モークシャ、vimukti , ヴィムクティ、mukti [ 1] , ムクティ、巴 : vimokha, vimokkha [ 3] , ヴィモッカ、mokkha [ 4] , モッカ、vimutti [ 1] , ヴィムッティ、mutti , ムッティ)とは、インド 系宗教 において、解放 、悟り 、自由 、放免 を手に入れた状態を意味する語であり、ヒンドゥー教 、仏教 、ジャイナ教 、シーク教 において様々な形で語られる[ 5] 。解脱を果たした者は、解脱者 (梵 : vimukta 、巴 : vimutta )と呼ばれたりする[ 6] 。
もともとは紀元前7世紀前後の古ウパニシャッド で説かれたもので、インド哲学一般に継承されている観念である[ 7] 。解脱はインド発祥の宗教 において最高目標とされてきた[ 7] 。
ヒンドゥー教 の伝統では解脱は中心概念であり[ 8] 、ダルマ (道徳、倫理等の正しい生き方)、アルタ (英語版 ) (富、財産、生計等の実利)、カーマ (欲望、性愛、優美さ)と共に、人生の目的 のひとつである[ 10] 。人間がこの世で追及すべき(世俗的な意味での)目的や義務、価値基準であるダルマ、アルタ、カーマは「トリヴァルガ(三種)」、プルシャ・アルタ (英語版 ) (Puruṣārtha、人生の目的)と呼ばれており、これに解脱(モークシャ)を加えて四大目的とすることもある[ 12] 。
仏教 においては、煩悩 の縛りから解放され、迷いの世界、輪廻 などの苦[ 1] [ 13] を脱して自由の境地に到達すること[ 7] 。悟る こと[ 7] 。対義語は繋縛(けばく, 巴 : bandhana ; 結縛)[ 14] 。
ジャイナ教 においては、魂 という存在 にとって至福 の状態である。
原語
「解脱」は、梵 : vimokṣa や梵 : vimukti の漢訳 である[ 7] 。vimuttiは「自由」という意味である[ 15] 。 vimokṣa は毘木叉、毘目叉と音写 し、 vimukti は毘木底と音写する。
ジャイナ教において
仏教において
釈迦 は菩提樹 で成道し、輪廻からの解放を達成したとされる。
比丘たちよ、このように見て、聖なる言葉を聞く弟子は、色を厭離し、受を厭離し、想を厭離し、サンカーラを厭離し、識を厭離する。
厭離のゆえに貪りを離れる。貪りを離れるゆえに解脱する。解脱すれば「解脱した」という智慧が生じる。
「生は尽きた。梵行は完成した。なされるべきことはなされ、もはや二度と生まれ変わることはない」と了知するのである。
仏教における解脱は、本来は涅槃 と共に仏教の実践道の究極の境地を表す言葉であったが、後に様々に分類して用いられるようになった。
相応部 ラーダ相応 では、比丘ラーダより「解脱は何を目的としているのか?」と問われた釈迦は、「解脱は涅槃 を目的としている」と答えている[ 17] 。
分類
仏教における解脱には、次のような分類がある。
有為 解脱と無為 解脱
性浄解脱と障尽解脱
心解脱と慧 解脱
慧解脱と倶解脱
時解脱と不時解脱
仏典における記載
火ヴァッチャ経 では、釈迦はある沙門 より「解脱した比丘はどこかへ生まれ変わるのか? あるいは生まれ変わらないのか?」との問いを受けた。釈迦は、その者に「火が消えた場合、その火はどの方角(東西南北)に消え去ったのか?」と問い返した。「その質問は適切ではありません、火は燃料が尽きたために消えます」との返答を受けた釈迦は、同様に如来というのも(生まれ変わるかどうかとは関係なく)、五蘊 (色受想行識)が尽きたために解脱した者であると説いた。
脚注
出典
^ a b c d e 日本大百科全書(ニッポニカ)『解脱 』 - コトバンク
^ 水野弘元『増補改訂パーリ語辞典』春秋社、2013年3月、増補改訂版第4刷、p.298
^ 水野弘元『増補改訂パーリ語辞典』春秋社、2013年3月、増補改訂版第4刷、p.262
^ John Bowker, The Oxford Dictionary of World Religions, Oxford University Press, ISBN 978-0192139658 , p. 650
^ 「vimutta : a. [vimuñcati の pp., Sk . vimukta] 解脱した, 解脱者. -atta 自ら解脱した. -citta 解脱心」水野弘元『増補改訂パーリ語辞典』春秋社、2013年3月、増補改訂版第4刷、p.298
^ a b c d e 『解脱 』 - コトバンク
^ John Tomer (2002), Human well-being: a new approach based on overall and ordinary functionings, Review of Social Economy, 60(1), pp 23-45; Quote - "The ultimate aim of Hindus is self-liberation or self-realization (moksha)."
^ See:
A. Sharma (1982), The Puruṣārthas: a study in Hindu axiology, Michigan State University, ISBN 9789993624318 , pp 9-12; See review by Frank Whaling in Numen, Vol. 31, 1 (Jul., 1984), pp. 140-142;
A. Sharma (1999), The Puruṣārthas: An Axiological Exploration of Hinduism , The Journal of Religious Ethics, Vol. 27, No. 2 (Summer, 1999), pp. 223-256;
Chris Bartley (2001), Encyclopedia of Asian Philosophy, Editor: Oliver Learman, ISBN 0-415-17281-0 , Routledge, Article on Purushartha, pp 443;
The Hindu Kama Shastra Society (1925), The Kama Sutra of Vatsyayana , University of Toronto Archives, pp. 8
^ See:
Gavin Flood (1996), The meaning and context of the Purusarthas, in Julius Lipner (Editor) - The Fruits of Our Desiring, ISBN 978-1896209302 , pp 11-21;
Karl H. Potter (2002), Presuppositions of India's Philosophies, Motilal Banarsidass, ISBN 978-8120807792 , pp. 1-29
^ 世界大百科事典 第2版『解脱 』 - コトバンク
^ ブリタニカ国際大百科事典『繋縛 』 - コトバンク
^ アルボムッレ・スマナサーラ 『テーラワーダ仏教「自ら確かめる」ブッダの教え』(kindle)Evolving、2018年。ISBN 978-4804613574 。
^ パーリ仏典 , 律蔵 犍度, 大犍度, 38 Mahakkhandhakaṃ, Sri Lanka Tripitaka Project
^ パーリ仏典 , 相応部 蘊篇ラーダ相応 , Sri Lanka Tripitaka Project
参考文献
宮本久義「ヒンドゥー教の根本思想」『ヒンドゥー教の事典』東京堂出版、2005年。
総合仏教大辞典編集委員会(編)『総合仏教大辞典』 上巻、法蔵館、1988年1月。
関連項目
基本教義 宗派 人物 哲学 聖典
神々・英雄
リシ
修行法 地域 社会・生活 文化・芸術