藤原清正
藤原 清正(ふじわら の きよただ)は、平安時代中期の貴族・歌人。藤原北家良門流、中納言・藤原兼輔の次男。官位は従五位上・紀伊介。三十六歌仙の一人。 経歴延長8年(930年)従五位下に叙爵。朱雀朝では紀伊権介・備前権守・備後権守と地方官を歴任する。 天慶9年(946年)4月の村上天皇の即位に伴い昇殿を許されると、10月に右兵衛権佐、翌天暦元年(947年)には五位蔵人、天暦9年(955年)左近衛少将に任ぜられるなど、武官を務めながら天皇に近侍した。この間の天暦3年(949年)には従五位上に叙せられている。 天徳2年(958年)7月卒去。最終官位は左近衛少将従五位上兼紀伊介。 朱雀・村上朝の宮廷歌人であり、『天暦九年内裏紅葉合』『天暦御時内裏前栽合』『天暦御時中宮歌合』といった天暦年間に開催された内裏歌合に出詠し、多くの屏風歌を制作した。壬生忠見・藤原敦忠らとの交流があった[1]。『後撰和歌集』(8首)以降の勅撰和歌集に計28首が入集[2]。他選家集として勅撰集的な構成を取る『清正集』がある[3]。 官歴注記のないものは『三十六人歌仙伝』による。
系譜『尊卑分脈』による。 脚注参考文献関連項目 |