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膝子

膝子
大瀧酒造株式会社
大瀧酒造株式会社
■膝子の位置(埼玉県内)
■膝子
膝子
膝子の位置
北緯35度55分2.88秒 東経139度41分19.61秒 / 北緯35.9174667度 東経139.6887806度 / 35.9174667; 139.6887806
日本の旗 日本
都道府県 埼玉県
市町村 さいたま市
見沼区
地域 大宮地区
人口
2017年(平成29年)9月1日現在)[1]
 • 合計 700人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
337-0021[2]
市外局番 048[3]
ナンバープレート 大宮

膝子(ひざこ)は、埼玉県さいたま市見沼区大字郵便番号は337-0021[2]

地理

さいたま市見沼区東端部に位置する。西で東宮下、北で大谷加田屋、東で岩槻区谷下柏崎横根、南で緑区上野田高畑に隣接する。概ね綾瀬川右岸見沼代用水東縁(一部は加田屋川左岸にあたる。

大宮台地の鳩ケ谷支台がある西側を埼玉県道105号さいたま鳩ヶ谷線日光街道の脇往還の日光御成街道で、旧国道122号)が通り、古くからの人家が立地するほか、一里塚も残る[4]。さらに西側の見沼代用水東縁や加田屋川沿いの低地にはかつて見沼が広がっていたが、干拓されて現在は田圃や都市公園となっている。東部の綾瀬川沿いの後背湿地には、明治初期までは旧流路が膝子沼として広がっていたが、干拓されて現在は田圃となっている。また、区域区分は全域が市街化調整区域に属する[5]

最寄駅は東武野田線(東武アーバンパークライン)七里駅だが、駅から2キロメートル以上離れている。駅から当地区まで国際興業の路線バスが運行されているが、本数が少ないため、に公共交通機関の便はあまり良くない。

かつては立場を成して栄えたというが[4]、現在は街道沿いに古くからの人家などが疎らにあり、農地が広がる農業地域[4]である。縄文時代中期の中道遺跡[6]や縄文時代後期で県重要遺跡の膝子遺跡が存在する[4]

河川

小字

  • 芝宮、久保脇、一り塚、鈎島、辻の下、中田、八幡下、台の下、押付、外新田、大縄場、見沼[7]、辻、中道、台、会ノ谷、崎原、江川、新田 他

歴史

ひざこむら
膝子村
廃止日 1913年大正2年)4月2日
廃止理由 新設合併
大谷村猿ヶ谷戸村東門前村東宮下村膝子村新堤村風渡野村七里村
現在の自治体 さいたま市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 埼玉県
北足立郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 608
(埼玉県市町村誌、1889年明治22年))
隣接自治体 北足立郡東宮下村、大谷村、片柳村野田村
南埼玉郡和土村柏崎村
膝子村役場
所在地 埼玉県北足立郡猿ヶ谷戸村
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かつては江戸期から存在した武蔵国足立郡南部領に属する膝子村であった。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では607余(田450石余、畑156町余)、『元禄郷帳』では696石余、『天保郷帳』では726石余であった[6]助郷は日光御成街道大門宿に出役していたが、寛保宝暦年間は中山道大宮宿にも代出役していた[6]化政期の戸数は93軒で、村の規模は東西8余、南北10町余であった[6][8]慶安年間には光徳寺に寺領13石が寄進されていた[9][6]。綾瀬川には明見河岸が設けられていた[10][6]

地名の由来

当地に残る膝子塚から。かつて農家の妻が奇形児を産んだが、それが人の膝のように見える肉塊で、それを塚に埋めたためにこの名がついたといわれている[6][11]

沿革

世帯数と人口

2017年(平成29年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

大字 世帯数 人口
膝子 280世帯 700人

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[18]

番地 小学校 中学校
全域 さいたま市立東宮下小学校 さいたま市立七里中学校

交通

鉄道

町域内に鉄道は敷設されていない。最寄駅は東武野田線(東武アーバンパークライン)七里駅となる[19]

道路

バス

地域

寺社・史跡

施設

脚注

  1. ^ a b さいたま市の人口・世帯(時系列結果)”. さいたま市 (2017年9月5日). 2017年9月20日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2017年9月18日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
  4. ^ a b c d e f 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』961頁。
  5. ^ 外部リンク節の『さいたま市地図情報』を参照。
  6. ^ a b c d e f g h i j k l 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 722頁。
  7. ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』1387頁。
  8. ^ 新編武蔵風土記稿 膝子村.
  9. ^ 『大宮のむかしといま』 58-60頁。
  10. ^ a b 『大宮のむかしといま』 86-93頁。
  11. ^ 谷川彰英 (2017年10月24日). “谷川彰英の「地名の由来を歩く」 旧大宮市にある「膝子」。その悲しき由来とは?”. KKベストセラーズ ONLINE (ベストセラーズ). https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7194 2019年2月17日閲覧。 
  12. ^ 『大宮のむかしといま』 78-81頁。
  13. ^ 「旧高旧領取調帳データベース」の検索結果も参照。
  14. ^ a b 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 1420頁。
  15. ^ 『大宮のむかしといま』 資料-28頁。
  16. ^ 大宮市立博物館『写真でみる大宮の昔と今』大宮市教育委員会、1990年11月3日、221頁。 
  17. ^ 七里総合公園 - さいたま市公園緑地協会.2019年11月17日閲覧。
  18. ^ さいたま市立小・中学校通学区域一覧”. さいたま市 (2017年8月23日). 2017年9月20日閲覧。
  19. ^ 埼玉県さいたま市見沼区東門前の住所一覧 - いつもNAVI(ゼンリン). 2022年2月5日閲覧。
  20. ^ 文化財紹介 膝子一里塚”. さいたま市WEBサイト (2013年12月27日). 2019年10月11日閲覧。

参考文献

  • 「膝子村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ145足立郡ノ11、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763999/5 
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104 
  • 『大宮のむかしといま』大宮市、1980年11月3日。全国書誌番号:81007009NCID BN03449939 
  • 旧高旧領取調帳データベース

関連項目

外部リンク

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