美山荘
美山荘(みやまそう)(野草一味庵「美山荘」)は、京都の花背に所在して「摘草料理」で知られる料理旅館である。 摘み取った季節の草花や旬の野菜に魚を取り入れた料理は、白洲正子ら文化人に愛されて「京都門外不出」と喧伝されたが、後年に子孫らが広く事業している。アラン・デュカス (Alain Ducasse) やミシェル・ブラス (Michel Bras) なども、訪日して興味を示した。 概要奈良春日大社の社家であった初代の中東庄吉郎が、花背の「大悲山峰定寺」再興に共鳴し、1895年(明治28年)に峰定寺参りの信者宿坊として建立した。 二代目の長男の中東吉次は1938年(昭和13年)に生まれ、1961年に23歳で家業を継いで独自の「摘草料理」を始め、数寄屋造り棟梁の中村外二に依頼して宿坊を料理旅館へ増改築し、屋号を「美山荘」とした。1993年(平成5年)に他界する[1]。
子孫らの事業展開三代目吉次の長男で四代目当主の中東久人は、2002年にザ・ウィンザーホテル洞爺リゾート&スパへ「美山荘 洞爺」と「天川」[2]を出店したが、2008年に撤退した。 2006年に京都市岡崎で「美先(みせん)」を開店したが2013年に四条烏丸へ移転し[3]、新宿タカシマヤタイムズスクエアへ出店[4]したが2019年に撤退する。「美先京都本店」は、新型コロナウイルス感染症の流行で休業して2022年に閉店する。 2022年に「ホテルぎおん美先」と「ぎおん美先古門前」を開業[5][6]する。
三代目吉次の弟で美山荘の総料理長を務めた中東久雄は、1997年に京都市で「草喰(そうじき)なかひがし」[7][8]を開店した。久雄の長男の克之(1979年生)は「草喰 なかひがし」で厨房を務め、次男の俊文(1982年生)は西麻布で山野草を用いてイタリア料理店「草片 cusavilla」を営み[9]、三男の篤志(1986年生)は京都市で京野菜の創作和食店「そ/s/KAWAHIGASHI」を営む。
三代目吉次の次女は料理研究家の大原千鶴である 立原正秋の長男である立原潮は、「美山荘」で三代目吉次の料理を学んで1991年に恵比寿で懐石「立原」を開店したが、銀座へ移転したのち2011年に閉店した。 題材
関連書籍
脚注
関連項目外部リンク座標: 北緯35度13分58.8秒 東経135度47分34.1秒 / 北緯35.233000度 東経135.792806度 |