筒井ともみ
筒井 ともみ(つつい ともみ、本名:筒井 共美、1948年7月10日 - )は、日本の脚本家、小説家。 概略東京都世田谷区出身[1] 。成城大学文芸学部卒[2]。女優の赤木蘭子は伯母、俳優の信欣三は伯父にあたる[2]。名付けの親はカメラマンの宮嶋義勇[2]。 アニメーションから実写ドラマ、映画の脚本を手掛ける一方で、小説、エッセイの執筆と活躍の場を広げている。向田邦子賞の審査員なども務めている。 人物・来歴3歳の頃からヴァイオリンを習って自身の特技となり[1]、後に特技を生かしてヴァイオリンのスタジオミュージシャンも務めている。シナリオ研究所を経て、広告代理店にコピーライターのアルバイトとして勤める[1]が長続きせず、スタジオミュージシャン(ヴァイオリン)として活動する傍ら脚本家の手伝いも行う。最初は役者や脚本家になる気は全く無かったということだった[1]が、後述(#エピソード節参照)のようにシナリオ研究所に通い始めて脚本家の道へ入っていく。1976年にテレビアニメ『ドン・チャック物語』で脚本家としてデビュー[2]。1978年のテレビドラマ『透明ドリちゃん』以降、東映制作の作品の脚本も手掛けた[2]。 1996年にテレビドラマ『響子』(TBS)と『小石川の家』(テレビ東京)で第14回(1995年度)向田邦子賞 を受賞[2]。受賞理由として「鋭くて繊細な美意識」、「作風のオリジナリティ」が評されている。 2001年に第20回向田邦子賞の選考委員を務め、翌年以降も選考委員に就任している(2003年第22回、2004年第23回、2005年第24回)。 2003年に映画『阿修羅のごとく』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞[2]。 2005年に映画『ベロニカは死ぬことにした』で、脚本執筆とプロデュースを兼任する。 2007年4月からは東京芸術大学大学院映像研究科映画専攻脚本領域の准教授となる。映画専攻(脚本ゼミ)の講師を担当[3]。2008年4月からは教授として、指導にあたっている。 エピソード脚本家を目指したきっかけは、大学卒業後に交際相手から結婚を申し込まれそうになり、これを逃れるために伯母の赤木から勧められてシナリオ研究所に通うことにしたためであった[2]。当時のシナリオ研究所の受講生は学生運動を引きずっていた者が多く、ヴァイオリンや日傘を持ち歩いていた筒井は場違いな存在として嫌味を言われていたが、実際にプロの脚本家になったのは筒井を含め2、3人程度であったという[2]。 『ドン・チャック物語』で執筆した郵便配達ウッディの話をきっかけに、「ささやかな自由とひそやかなプライドだけは手放さない」ということを自作のテーマとしている[2]。一方で、勧善懲悪の物語を不得意としており、類型的な時代劇の悪代官や刑事ものの説明的な回想シーンなどが嫌いだと述べている[2]。『必殺仕事人』では、勧善懲悪の物語を書けず、先輩脚本家から類型的なストーリーへの落とし込み方を教えられるが、どうしてもそれができなかったという[2]。『銭形平次』の執筆を依頼されたときは、悪人に銭を投げるというのが単純すぎて書けないとして断っている[2]。 また、自身の家庭環境の影響から、ホームドラマや、ちゃんとした家族やエリートのサラリーマンは書けないと述べている[2][4]。NHKプロデューサーの和田勉からは、「向田邦子はきちんとした家族を書くと面白いが、あなた(筒井)は壊れた家族を書くと面白い」と評されたという[2]。 名刺、携帯電話、パソコンを使わないと公言し[5]、実践する日々を送って来たが、2007年に自身の公式ページを開設した。 『必殺シリーズ』がきっかけで知り合った野上龍雄を「心の師匠」と仰いでいる。 脚本※年度表記について。基本的には初回放映日年度を記載 アニメーション作品
特撮ドラマ
テレビドラマ
映画
舞台作品
プロデュース
著書単著
インタビュー・対談
ノベライズ・漫画原作
脚本集
出演作品
脚注
参考文献参考文献-ウェブサイト
関連項目外部リンク
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