『福翁自伝 』(ふくおうじでん、旧字体 :福󠄁翁󠄂自傳 )は、幕末 維新 ・明治 の洋学者 ・教育者 である福澤諭吉 晩年の口語 文体による自叙伝 である。
1898年 (明治31年)7月1日 から1899年 (明治32年)2月16日 まで計67回にわたって「時事新報 」に掲載された。単行本は1899年(明治32年)6月15日 に刊行。
福澤自身の人柄が判るだけでなく、幕末から維新にかけての動乱期に、近代思想の先駆者として日本を大きく導いた当事者による自叙伝は、日本近代史 の重要な文献でもある。「門閥 制度は親のかたき」[ 1] 等の有名な言葉もこの自伝からである。
成立
西洋では学者の多くが自叙伝を著すことから、慶應義塾 関係者は福澤に自伝を書くよう勧めていたが、多忙を極め一向に執筆にかかれないでいた[ 2] 。そんな中、ある外国人から幕末維新前後の体験談に関するインタビュー を受け、口述筆記 という方法を思い立ったのがきっかけである[ 2] 。福澤諭吉が口述した内容を、矢野由次郎(時事新報 記者)が速記 し、その原稿に福澤自身の手で推敲加筆するという形で書かれた[ 3] 。1948年 (昭和23年)に速記原稿が発見され、小見出しが付けられている[ 3] 。
また福澤が、個人的にも尊敬していた18世紀 アメリカ の政治家 ・著述家だったベンジャミン・フランクリン (「フランクリン自伝」)に、大きく習ったものともされる [誰によって? ] 。オーラル・ヒストリー の出発点となる書とも位置付けられている[ 4] 。
差別表現問題
本書における
「そんな
訳 ( わ ) けだから塾中の書生に身なりの立派な者は
先 ( ま ) ず少ない。そのくせ市中の縁日など
云 ( い ) えば夜分
屹度 ( きっと ) 出て行く。行くと往来の群集、
就中 ( なかんずく ) 娘の子などは、アレ書生が来たと云て脇の方に
避 ( よ ) けるその様子は、何か穢多でも出て来て
夫 ( そ ) れを
穢 ( きた ) ながるようだ。
如何 ( どう ) も
仕方 ( しかた ) がない。往来の人から見て豚を殺す穢多のように思う
筈 ( はず ) だ」
[ 5] との記述が問題視され、「穢多」の語が「ゝゝ」と伏字に置き換えられたり「えた」と平仮名表記に改竄されたりしたことがある[ 6] [ 7] 。
この点について、本書の校注者の会田倉吉は「本書中には、差別用語として使用を当然さしひかえるべき表現が、数か所にわたって見うけられる。(略)その福沢にして、いかにも無造作にこのような表現を用いている事実は、その生きた時代をしかと知るうえになんらかの示唆を与えることと思われる」と述べ、本文中の差別表現を敢えて原文のままとした[ 8] 。
構成
幼少の時
長崎 遊学
大阪 修行
緒方 の塾 風
大阪を去って江戸 に行く
はじめてアメリカ に渡る
ヨーロッパ 各国に行く
攘夷論
再度米国行
王政維新
暗殺の心配
雑記
一身一家経済の由来
品行家風
老余の半生
書誌情報
現代語訳
翻訳
The Autobiography of Yukichi Fukuzawa. NY: Columbia University Press, 1966. Revised translation by Eiichi Kiyooka, with a foreword by Carmen Blacker.(英語 版)
The Autobiography of Yukichi Fukuzawa. (Paperback) Columbia University Press, 2007. Revised translation by Eiichi Kiyooka, with a foreword by Albert Craig . ISBN 0-2311-3987-X (英語版)
la vie du vieux FUKUZAWA racontée par lui-même , Albin Michel, 2007, Marie-Françoise Tellier (Traduction). ISBN 978-2226171092 (フランス語 版)
후쿠자와 유키치 자서전 , 허호 옮김 , 이산 펴냄 , 2006年 3月 ISBN 8987608530 (韓国語 版)
《福泽谕吉自传 》 马斌译 ,商务印书馆 ,1980年,ISBN 7100014220 (中国語 版)
《福泽谕吉自传:改造日本的启蒙大师 》 杨永良 ,文汇出版社 ,2012年3月1日,ISBN 9787549603909 (中国語 版)
脚注
関連文献
関連項目
外部リンク