白元
株式会社 白元(はくげん)は、かつて防虫剤、脱臭剤、化粧品、殺虫剤などを製造販売していた総合日用品メーカーである。 概要創業者の鎌田泉が1923年(大正12年)に、自らの経営により防虫剤・防臭剤の製造販売を開始する[1][2]。1950年(昭和25年)に株式会社へ改組すると、のちに1953年(昭和28年)に蛍光染料「白元」を発売[2]。これが同社の看板商品となったことで、さらに化学技術を進め、防虫・防臭方面に拡大を続けてゆく。 1972年(昭和47年)には液体靴下止め「ソックタッチ」を発売[2]。これを機に社名を現在の「白元」に改称する。 パラジクロルベンゼン系衣服用防虫剤「パラゾール」を始め、冷蔵庫用脱臭剤「ノンスメル」、使い捨てカイロ「ホッカイロ」、ピレスロイド系衣服用防虫剤「ミセスロイド」、保冷枕「アイスノン」など息の長いヒット商品が多く、業界屈指のロングセラーメーカーとして知られていた[3]。また、2001年(平成13年)より、大正製薬からの商標貸与によって殺虫剤事業に参入している他、キング化学や大三を傘下に収めたことで、「快適ガードプロ」や「バスキング」をはじめとする衛生用品・入浴剤事業にも参入した。 その後は他社との競合激化などから、資金負担が重いカイロ事業を興和に売却した他[4]、住友化学に対し第三者割当増資を実施するなどして[3]、経営改善に努めてきたが、4代目社長の鎌田真が主導した「押し込み販売」[5]などからなる杜撰な経理状況が明らかとなり[6]、金融機関との協議が決裂[1]。2014年5月29日に東京地裁へ民事再生法の適用を申請した[7][8]。これにより創業家出身の鎌田真社長は引責辞任した[9]。子会社の内、大三とコットン・ラボの2社の株式は、大三が同年6月30日に、コットン・ラボが同年8月21日にそれぞれ丸三産業へ譲渡され、同時にグループから離脱した。 民事再生スポンサー入札には同業のアース製薬やエステーの他にも、投資ファンドも入札したが、エステーは最終入札には参加しなかった[10]。2014年7月31日に民事再生スポンサーの選定先が発表され、アース製薬を民事再生スポンサーに選定すると同時に、白元がアース製薬に白元の全事業を75億円で譲渡する契約を締結した。アース製薬は8月5日に白元の受け皿となる完全子会社「白元アース株式会社」を設立した[11]。 2014年9月1日付で白元は、白元アースへ白元の全事業と従業員347名、5つの工場、有形固定資産・無形固定資産・知的財産・子会社株式・売掛金・買掛金・棚卸などの資産や負債を譲渡したと同時に「ゴキブリゾロゾロ」などの一部製品の製造も終了した。子会社の内、株式会社マザーズ(後に白元アースへ吸収合併)・香港白元有限公司・白元家庭用品(深圳)有限公司に関しては、白元アースへ譲渡されたが、UNI-KING OF HAWAII, INCに関しては白元アースへ譲渡されなかった[12][13]。事業譲渡手続き終了後も白元は清算手続を進め、2016年9月30日に清算手続が結了し、法人格が消滅した[14][15]。 沿革
発売していた主な商品
△印:大三製造品 ☆印:旧キング化学製造品
テレビ番組
番組スポンサー
脚注注釈出典
関連項目
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