田村賢作
田村 賢作(たむら けんさく、1904年[1]7月5日[2] - 1989年[1]1月11日[2])は、日本の政治家。参議院議員(1期)。 経歴栃木県下都賀郡国分寺町(現下野市)出身[3]。栃木師範学校を卒業[1]。小学校教員を経て、国民学校校長や県視学官などを歴任[1]。1951年(昭和26年)から栃木県議会議員を4期務める[1]。この間、1959年(昭和34年)5月から1960年(昭和35年)9月まで県議会副議長を、1964年(昭和39年)2月から1965年(昭和40年)3月まで県議会議長を務めた[3]。1965年の第7回参議院議員通常選挙で栃木県選挙区から立候補して当選[1]。参議院議員は1期務め、第2次佐藤第1次改造内閣では行政管理政務次官を務めている。1974年(昭和49年)秋の叙勲で勲三等旭日中綬章受章[2]。1989年1月11日死去、84歳。死没日をもって正五位に叙される[4]。 脚注参考文献
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