殿岡利助殿岡 利助(とのおか りすけ、1883年(明治16年)10月8日[1] - 1952年(昭和27年)12月26日[2])は、大正から昭和期の実業家、政治家。参議院議員。幼名・福三[3]。 経歴栃木県[2]足利郡足利町栄町[3](現足利市)で、織物製造業(元織)、先代・殿岡利助[3]の長男[4]として生まれる。父の死去に伴い1893年(明治26年)家督を相続した[4]。1897年(明治30年)東京日本橋の織物問屋・安田源蔵商店に奉公し6年間勤めた[3]。その後、3年間兵役に就いて帰郷した[3]。 帰郷後、利助を襲名し、家業の復興に尽くし、殿利織物工場に成長して有限会社となる[3]。「足利銘仙」の開発改良に尽力し、1934年(昭和9年)足利織物同業組合組長に就任[3]。また、足利市会議員、同参事会員、同議長、足利市消防団組頭、同警防団長、大政翼賛会栃木県支部常務などを務めた[2][3][4]。 1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙に栃木県地方区から民主党公認で出馬して当選した(補欠、任期3年)[2][3][5]。同年、公職追放となり[6]、同年7月2日に辞職し[7]参議院議員を1期務めた[2]。 栃木県繊維工業振興会理事長に就任し[2][3]、栃木県の繊維産業復興に尽力し、特に足利のトリコット産業の育成に多大な貢献を行った[3]。また、軍需工場に転換していた殿利織物工場をゴム履物工場とし、1947年に興国化学工業 (株) (現アキレス)を設立して社長に就任した[3]。 親族脚註参考文献
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