生口生口(せいこう)は、かつての中国や朝鮮半島における捕虜または奴隷。倭国では奴隷とは異なる身分呼称とされる[1]。 概要南朝宋から唐にかけての成立とされる『後漢書』、『三国志』の中の「魏書」(『魏志倭人伝』)、現在の中国吉林省に所在する広開土王碑などにみえる用語。 生口は「生きた口」と書き、元来は捕虜を意味する語であるため、捕虜を起源とする奴隷的身分であると考えられている。時代的に献上物が豊富ではなく、そのため生口を送ったと見る向きもある。ただし異論も多く、捕虜と関係ない奴隷とする説や、あえて中国へ献上されていることから、単なる捕虜・奴隷ではなく、捕魚者など何らかの技能を持った者とする説もある。さらに中国への留学生とする説もあった。魏志倭人伝の記述から、弥生時代後期に奴婢という奴隷階層がいたことが判っている。いずれもかつての中国から朝鮮半島で記述されたものであることから、生口が奴婢と全く別の存在なのか、重複するのかは論が分かれている。
倭国の「生口」石沢澈は、林屋辰三郎が『後漢書』の記述を根拠に「奴隷を献上した」と解釈していることについて、生口が直ちに奴隷とは解しがたいとし、百済が博士や高僧を文化使節として派遣した際にも「わが朝廷に献上した」と表現されているため、「献上した」ということをもって、奴隷の献上とのみは考えられないと述べている[2]。 出典
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