渋谷公園通り渋谷公園通り(しぶやこうえんどおり)は、東京・渋谷の渋谷マルイと渋谷MODI付近から代々木公園に通じる緩やかな坂道である[1]。1972年(昭和47年)、渋谷区役所通商店街(当時)が、渋谷PARCO開店を機に命名した。名称は、「パルコ(parco)」がイタリア語で「公園」を意味すること、さらに、この通りが代々木公園に通じていることに由来する。 渋谷公園通り概要東京都渋谷区の宇田川町から神南に通じる道路の愛称で、南端の「神南一丁目」交差点から、北端の「渋谷区役所前」交差点までの緩やかに登る坂道(約450 メートル)。ファッションビルや飲食店、公共施設などが建ち並ぶ繁華街となっている。 由来1970年(昭和45年)、渋谷区役所や渋谷公会堂が現在地に完成し、これに合せて「区役所通り」と呼ばれていた。1973年(昭和48年)6月14日、西武百貨店系列(当時)の渋谷PARCOがオープンしたことを機会に、当時の渋谷区役所通商店街による発案で改称して「渋谷公園通り」と命名された。北側の代々木公園へ至る坂道であり、「パルコ(parco)」がイタリア語で「公園」を意味していたことが由来である[2][3]。 交通環境整備2002年(平成14年)、渋谷区制施行70周年に合わせ、公園通りの道路環境が整備された。渋谷公園通商店街振興組合の協力と共に全国に先駆けて新しい交通環境整備システムを導入し、交通渋滞や違法駐車などが大幅に改善されている[4]。
特徴とランドマーク大型複合店のファッションビルや、セレクトショップと呼ばれる中小規模のブティックやテナント、カフェやファストフードなどの飲食店、各種の公共施設などが数多く建ち並んでいる。渋谷のファッションや流行を象徴するメインストリートの一本で、昼夜を問わず人々が往来する繁華街である。以下、南側(渋谷駅方面)から北側(渋谷区役所・NHK方面)へ向かって、立地順に代表的なランドマークを挙げる。
プチ公園通り概要プチ公園通り(プチこうえんどおり)は、渋谷公園通りの東側にあるファイヤー通りとの間に挟まれ、神南一丁目の神南坂フレーム(旧「12ヶ月ビル」)辺りから北谷公園辺りへ抜ける細い路地(坂道)の愛称(通称)である。 由来自然発生的な愛称であり、誕生した時期をはっきりと特定することはできない。公園通りにほぼ並走する細い路地であることから、フランス語で「小さい」ことを意味する「プチ(petit)」が付け加えられたことが由来とされる。渋谷が若者文化や流行を象徴する街として一般社会に認識されるようになった1980年代頃から、ファッション雑誌の案内地図に記載されるなどして知られるようになった。なお、このエリアは愛称としてパークアヴェニューと呼ばれることもある。英語で、「パーク(park)」は「公園」、「アヴェニュー(avenue)」は「南北に延びる路地」を意味する[2]。 特徴とランドマーク南から北へ登る細い路地で、緩やかな坂道である。このエリアには、最先端の流行を取り入れた中小規模のセレクトショップやブティック、ギャラリー、カフェ、美容院などが建ち並ぶ。以下、南側(渋谷駅方面)から北側(渋谷区役所・NHK本部・首都圏局方面)へ向かって、立地順に代表的なランドマークを挙げる。
音楽と公園通り渋谷公園通りの南側の坂下周辺には「CLUB QUATTRO」や「渋谷屋根裏」など多くのライブハウスが所在している。また坂道をのぼって北側へ行くに従って「渋谷公会堂」や「NHKホール」、「国立代々木競技場」などが建ち並び、日本の音楽業界との関わりが深いエリアとなっている。その為、「公園通りの坂上がり」という、ミュージシャンが人気の上昇と共にコンサート会場を大規模な施設へ移していく様子をたとえた言葉も生まれた。DREAMS COME TRUEのライブビデオなどにもその様子を表現したシーンが収録されている[8][9]。 音楽に敏感な顧客層が多く集まるエリアであることから、新曲やコンサートのプロモーション専用のアドトラックが、公園通りやファイヤー通りなどを集中的に巡回したり、夜になるとストリートミュージシャンが路上ライブを開催するといった光景もよく見られる。また、渋谷パルコ(旧施設のPART-1)にはTOKYO FMのサテライトスタジオもあった。公園通りがオシャレなイメージだった1980年代を中心に、多くのミュージシャンから公園通りやそのエリアをモチーフにした楽曲が発表されている。
最寄駅
脚注
関連項目地理・道路下記の「渋谷区の町名」テンプレートも参照のこと。
文化
公共施設・NPO外部リンク
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