浦野錠平
浦野 錠平(うらの じょうへい、1861年(万延元年12月[1][2]) - 1909年(明治42年)3月25日[2])は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。 経歴1861年(万延元年)、三河国加茂郡四郷村(のち愛知県西加茂郡上郷村→猿投村→猿投町→豊田市)に生まれた[1]。生家は浦野酒造場(後の浦野合資会社)を営む庄屋の浦野家[3]。 普通学を修得し[1]、農業と酒造業を営む[1][2]。学務委員、上郷村会議員、同村長、西加茂郡会議員、愛知県会議員[2]、県税賦課額調査委員、県道改修委員、勧業諮問会員となった[1]。 1898年(明治31年)3月の第5回衆議院議員総選挙において愛知9区から自由党公認で立候補して初当選する[4]。8月の第6回衆議院議員総選挙では憲政党公認で立候補して再選する[5]。1902年(明治35年)の第7回衆議院議員総選挙は不出馬。1909年(明治42年)に死去した。 長男の浦野謙朗は1924年(大正13年)に衆議院議員に就任した[6]。 脚注参考文献
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