河辺村 (愛媛県)
2005年(平成17年)1月11日、大洲市、喜多郡長浜町、同郡肱川町と新設合併し、新しい大洲市となり、地方自治体としては消滅。 地理松山市から約70km、喜多郡東部に位置する。肱川の支流の一つである河辺川の上流域にあたる。四方を四国山地の山々に囲まれ、東は小田町、西は肱川町、南は野村町、北は内子町・五十崎町に接しているが、肱川町を除きいずれも山で接しており、それぞれの町との往来も険しい峠道を越えてになる。 地形急峻で、全面積の8割以上は山林である。
村名の由来中世からこの地域は河邊郷と呼ばれていた。 地域植松(うえまつ)、川上(かわかみ)、川崎(かわさき)、川都(かわと)、北平(きたひら)、橡谷(とちだに)、三嶋(みしま)、山鳥坂(やまとさか)、横山(よこやま)
歴史戦国期のものとみられる古城・砦の跡がいくつか村内にあるが、大規模な戦乱の舞台になった記録はみられない。 近世はじめに大洲藩領となる。1623年(元和9年) - 新谷藩の分藩により川崎が新谷藩領となる。
河辺村の系譜 【昭和の合併】 東宇和郡貝吹村、横林村の一部 境界変更 【町村制実施以前の村】【明治期】 か┃ 町村制施行時 ┃昭和34年11月3日 大谷 ━━━━━━ 大谷村 ━━━━━━━━━┓ う ┃町制施行 中居谷 ━━━━┓ ┣━ 肱川村 ━┳━┳┻肱川町━━┓ 名荷谷 ━━━━╋━ 宇和川村━━━━━━━━━┫ ┃ ┃ ┃ 宇和川 ━━━━┛ ┃ ┃ ┃ ┃ 山鳥坂 ━━━━━━ 山鳥坂村━┓ あ ┃ ┃ ┃お ┃ 宮谷 ━━━━┓ ┣━ 河辺村 ┳┛ ┃ ┗━河辺村━━┫ 横山 ━━━━┫ ┃ ┃ ┃ ┃ 植松 ━━━━╋━ 奥南村 ━┛ い┃ ┃ ┃ 橡谷 ━━━━┫ 上浮穴郡 ┃ ┃【平成の合併】 中津 ━━━━┫ 浮穴村の一部 ┃ ┃平成17年1月11日 川崎 ━━━━┛ 編入 ┃ ┃ 新設合併 え┃ ┣━━大洲市 大字宇和川の一部 ┃ 大川村へ ┃ 大洲市━━┫ 長浜町━━┛ あ-明治42年4月1日合併 い-昭和18年4月1日編入 う-昭和18年4月29日合併 え-昭和23年4月1日境界変更 お-昭和26年1月1日分立 か-昭和30年2月11日境界変更 (注記)大洲市等の平成の合併以前の系譜については、それぞれの市町村の記事を参照のこと。 行政首長
キャッチフレーズ「美しい自然と産業が調和する心豊かな町」。まちづくりのキャッチフレーズとしては「浪漫街道(龍馬脱藩の道)と浪漫八橋(屋根付橋)が映える村」を掲げていた。[1]
教育中学校
小学校
交通鉄道路線
伊予大洲駅からバスを利用する。 道路県道肱川町との境付近に建設予定の山鳥坂ダム(やまとさかダム)の建設の構想が持ちあがって長年経つが、付近の道路が水没地になることから、ダム建設の概要が定まらないことには、道路の改修が事実上ストップした状態となっている。険しい山はだを中央線もないような道路がうねっているが、大型車との離合もままならない状態である。この道路は地域外と結ぶ生命線であり、ダムの早期建設着手、工事用道路を含めた早期整備を村民は待っていた。[要出典] 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事脚注
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