河田直也
河田 直也(かわた なおや、1974年4月23日 - )は、毎日放送(MBS)所属のアナウンサー。同局のアナウンサー室では、主事(係長級)などの役職を経て、2021年の時点でアナウンス部次長を務めている。 来歴・人物カナダ・ケベック州のインターナショナルスクールを経て、立命館大学政策科学部へ進学。大学時代には一時、ラグビーの同好会に所属していた。 大学卒業後の1999年に、松川浩子と共に、アナウンサーとして毎日放送へ入社した。元々は、テレビ局でスポーツに関する仕事に携わることを志望。必ずしもアナウンサーにこだわっていなかったため、学生時代にアナウンス技術を一切学んでいなかったが、アナウンサー志望の知人からの手ほどきを受けながらアナウンサー試験に挑戦したという。ちなみに、毎日放送の前には、日本テレビとテレビ朝日のアナウンサー試験を受験。日本テレビの試験でカメラテストにまで残ったことから、地元局である毎日放送と朝日放送(当時)のアナウンサー試験も受けたところ、スポーツ実況要員として毎日放送に採用された。入社後の研修責任者は平松邦夫で、毎日放送のアナウンサー試験で同席していた石井亮次(当時は平松の母校・同志社大学の学生)とは、石井がアナウンサーとして中部日本放送(現在のCBCテレビ)へ入社してからも親交が深い。 もっとも実際には、スポーツアナウンサーとしての活動期間は短く、テレビの情報番組(『ちちんぷいぷい』『知っとこ!』など)を中心に出演。一時は、ラジオパーソナリティとしても活動していた。2010年10月から『ちちんぷいぷい』で毎週木曜日(2020年度のみ毎週金曜日)に放送している紀行ロケ企画「昔の人は偉かった」では、週1回のロケで同年代のくっすんとともに1日10km以上の道程を歩きながら、「歴史ポイント」(ロケ中に訪れる名所旧跡・神社仏閣)の解説、(ロケ中に脚の痛みや疲労を訴えがちな)くっすんのフォロー、スタジオでのコーナー進行・ロケ報告などの役割を担っていた。 母親は宝塚歌劇団卒業生の華かおり[1]。2007年10月13日には、『ちちんぷいぷい』のディレクターと結婚。いずれも、同番組で『世界一周』への出発の模様を中継した際に、関西国際空港からの生中継に登場している。2012年5月には、第1子(男児)を授かったことを同番組で公表した。また、一時は大月勇(後にラジオ営業部を経てラジオ制作センター)、大八木友之(後に報道局を経てJNNパリ支局長)、後輩アナウンサーの山中真らと社内でフットサル部に所属。長らく『ちちんぷいぷい』で共演していた先輩アナウンサー・西靖とは、ウクレレ部に所属している。 ちなみに、『ちちんぷいぷい』などの番組で共演する機会が多い山中と同じく、番組へ登場する際には「アナウンサーの河田直也です」と紹介することが多い。毎日放送の海外研修で山中がインドへ滞在した2011年1月〜3月中旬には、山中のレギュラー番組を事実上引き継いでいた。また、2010年4月からは、MBSラジオで『河田直也&桜井一枝のうきうき土曜リクエスト』(『西靖&桜井一枝のわくわく土曜リクエスト』の後継番組)のパーソナリティを担当。西と同じく、7年間にわたって桜井の相手役を務めた。 その一方で、スポーツ担当を離れてからも、『みんなの甲子園』や全国高校ラグビー大会のダイジェスト番組でキャスターを歴任。2012年4月からは『ちちんぷいぷい』内の部署である「ちちんぷいぷい運動部」の副キャプテンに任命されると、2013年4月から2014年10月までは、『カワスポ』(MBSテレビのスポーツ情報番組)のメインキャスターを務めた。さらに、毎日放送が出資した映画『あしたのジョー』(2011年版)には、ボクシングの実況アナウンサー役で出演。ちなみに、『あしたのジョー』の実況シーンでは、休日だったにもかかわらず撮影に立ち会っていた香川照之(丹下段平役で出演)からボクシング通ならではのアドバイスを直々に受けている[2]。 2014年4月以降の『ちちんぷいぷい』では、「昔の人は偉かった」への出演を続けながら、金曜日で西と共にパーソナリティ(総合司会)を担当。2016年4月からは、金曜日に単独でパーソナリティを務めていた。 長期留学を経験していたこともあって、英会話が堪能。自身の出演番組では、映画宣伝で来日した海外の俳優・女優に、英語でのインタビュアーを務めることが多い。2007年8月に開催された世界陸上大阪大会の開会式(長居陸上競技場)では、毎日放送が地元局として大会の中継に携わった関係で、場内での英語アナウンスを担当した。また、「顔立ちが似ている」との理由で、イ・ビョンホンとのインタビューを数回経験。彼が2009年に生放送中の『ちちんぷいぷい』のスタジオへ出演した際には、エスコート役を務めた。ロンドンオリンピック (2012年)やソチオリンピック (2014年)の期間中には、同番組向けの周辺取材リポーターとして、開催地に派遣されている。 2011年からは、『ちちんぷいぷい』完全プロデュースのCDシングルの発売日に、『THE NAKAJIMA HIROTO SHOW 802 RADIO MASTERS』(『ちちんぷいぷい』と放送時間が重複するFM802の生放送番組)の17時台前半にゲストで出演。出演パートでは、両番組の間で、テレビ・ラジオによるサイマル放送を実施している(詳細は「THE NAKAJIMA HIROTO SHOW 802 RADIO MASTERS#放送時間」を参照)。このうち、2010年10月から参加していた「未来の花束」のリリースキャンペーンでは、「オリコンウィークリーチャート初登場で10位以内に入らなければ、1日だけ“おしゃれパーマ”姿で『ちちんぷいぷい』に出る」と公約した[3][4]。オリコンデイリーチャートでは10位を獲得したことがあったものの、11月14日付けオリコンウィークリーチャートでは14位にとどまったことが判明。公約通りパーマをかける羽目になった[5]。 2017年には、『ちちんぷいぷい』のレギュラー出演者から、山中・松川浩子・大吉洋平・豊崎由里絵(いずれも後輩アナウンサー)と共に、3月12日(日曜日)開催の「第5回淀川寬平マラソン」(同番組金曜レギュラーの間寛平が主宰するマラソン大会)の「42.195km駅伝」へ出場することを計画。実際には、大会当日にロケ取材へ出ることが急遽決まったため、広瀬駿(気象予報士)が自身に代わって出場した。翌2018年5月29日(火曜日)には、かつて総合司会を務めた吉本陸上競技会(万博記念競技場で2001年から年に1回開催)に、大会史上初めて「ちちんぷいぷいチーム」の選手として参加。6区間で構成された「10km駅伝」でアンカー(6区:2km)[6]を任されたほか、「100m走」で塚原直貴などと対戦した。 2019年には、4月改編から、『ちちんぷいぷい』で水・木曜日のMC(メインキャスター)も担当。また、毎日放送が主催する「サントリー1万人の第九」のアンバサダー(親善大使)や司会を任されている。2020年には、4月改編から『ちちんぷいぷい』のMC担当日を木・金曜日へ戻す一方で、3月16日からYouTube上に開設している毎日放送アナウンサー室公式チャンネルの「管理人」として配信専用動画の企画・編集業務を担っている。 『ちちんぷいぷい』は2021年3月12日(金曜日)放送分で21年半の歴史に幕を下ろしたが、同月29日(月曜日)からは、平日の15:40 - 19:00に放送される『よんチャンTV』(よんチャンテレビ)で全曜日の「パーソナリティ」(総合司会)として再スタートを切った[7]。毎日放送では『ちちんぷいぷい』の終了を機に、同番組の放送枠の大半(『よんチャンTV』の前枠)を『ゴゴスマ』(石井がフリーアナウンサーとしてMCを務めるCBCテレビ制作の情報番組)の同時ネットに充てたことから、毎日放送のみで流れる『ゴゴスマ』の告知映像には河田と石井が揃って登場。就職活動中に撮影された集合写真も使われている。 その一方で、「新日本放送」時代の1959年3月1日からテレビ放送事業とラジオ放送事業を兼営してきた毎日放送は、2021年4月1日付でラジオ放送事業を「株式会社MBSラジオ」へ移管。毎日放送は移管を機にテレビ単営局へ移行したが、河田はアナウンス職のまま同社の総合編成局(移管と同時に新設)へ在籍する一方で、株式会社MBSラジオが制作・放送する番組にも「MBSアナウンサー」として出演している。 毎日放送ではテレビ単営局への移行を機に、テレビ放送のコールサインを「JOOR-DTV」から「JOOY-DTV」に変更したため、変更時刻(4月1日の0:00)の前後に『らいよんチャンネル』(本来は番宣番組)を特別に放送。河田は、『よんチャンTV』のPRを兼ねて同番組のスタジオセットで収録された映像を通じて、コールサインの変更を「らいよんチャン」(同番組のマスコットキャラクター兼毎日放送のステーションキャラクター)と共に伝えた。 『よんチャンTV』には第1回から2021年6月10日(木曜日)放送分まで毎日出演していたが、翌11日(金曜日)の午前中に高熱が出たことからPCR検査を受けたところ、新型コロナウイルスへ感染していることが同番組の本番前に判明[8]。11日から2回のPCR検査で陰性が確認されるまでは、他の番組を含めて出演を見合わせていた[9]。7月5日(月曜日)から『よんチャンTV』に復帰。復帰に際しては、感染の影響で肺炎を発症したほか、全身の倦怠感が続いたことを明かしている[10]。 なお、『よんチャンTV』では2022年の初頭に、フルマラソン未経験の河田を大阪マラソン・フルマラソンの部に出場させる企画を立ち上げていた。この年の大阪マラソンは「第10回大阪マラソン・第77回びわ湖毎日マラソン統合大会」として2月27日(日曜日)に開催されたものの、新型コロナウイルスへの感染が再び拡大していたことから、河田が参加を予定していた一般の部は開催の直前に中止された。しかし、2023年の第11回大会(2月26日開催)から一般ランナーの参加が2019年(第9回大会)以来4年振りに認められたことを受けて、河田の挑戦企画を同年の1月末から再開。再開に際しては、「昨年(2022年)は(体調が万全でなかったので、一般の部が開催の直前で)中止になったことで安心した。今年(2023年)は(昨年ほど自分の)体調に不安がないが、自分の周囲にも新型コロナウイルス感染の後遺症でしんどい思いをされている方が結構いるので、そのような人々に対して『感染しても元気になる』というエールを贈るつもりで走りたい」と述べていた[11]。平日の全曜日に『よんチャンTV』の関西ローカルパートを1日につき3時間近く進行しながら練習に取り組んでいたことから、実際の練習では最長で13kmまでしか走れなかったものの、大会では48歳にして5時間44分18秒というタイムで完走している[12]。 「河田直也の60日間ほぼ世界一周 昔の人は偉かったザ・ワールド」2011年7月11日の『ちちんぷいぷい』で、『60日間世界一周の旅』(2010年6月から8月にかけて西靖が挑戦した企画)の第2弾として、『河田直也の60日間ほぼ世界一周 昔の人は偉かったザ・ワールド』(以下、『世界一周』)を実施することを発表。同年7月25日に、関西空港からハワイに向けて出発した。その後は、ペルー・エクアドル・ブラジル・イギリス・アイスランド・フランス・マダガスカル・エチオピア・エジプト・ブルガリア・ルーマニア・スペイン・ネパール・ベトナム・中華人民共和国・ラオス・オーストラリアの各国を渡りながら、滞在先から同番組や『河田直也&桜井一枝のうきうき土曜リクエスト』(MBSラジオ、河田の代理として山中がパーソナリティを担当)向けにリポート。同年9月23日に帰阪した。 渡航先では、『ちちんぷいぷい』総合司会の角淳一(当時)や西から放送で突然伝えられるテーマに沿って、得意の英語や現地の言葉を交えながらVTR取材や生中継リポートを担当していた。河田の帰阪当日には、秋分の日と重なったにもかかわらず、祝日に休むことが多い同番組を特別に編成。帰阪の模様を中継したほか、同番組スタジオへの帰還の模様を放送した。なお、2011年11月2日には、世界一周の模様を収めたムック「河田直也の60日間ほぼ世界一周」をぴあから刊行した。 ちなみに角は、水彩画初心者の河田に対して、行く先々の風景を滞在先1ヶ所につき1枚の水彩画で描くことを要望[13]。河田も、出発前に増山修(スタジオジブリ出身の背景画家)から指導を受けたうえで、『世界一周』の期間中に水彩画を描き続けた。渡航当初は、空を広く描く割に滞在先の特色をほとんど反映していないほど平坦な画風のため、同番組出演者からの評判は往々にして芳しくなかった。しかし、名越康文や女子美術大学を卒業した当時の後輩アナウンサー・吉竹史(いずれも『ちちんぷいぷい』レギュラー)から描き方のアドバイスを受けたこともあって、描き続けるうちに同番組の出演者(特に西)からの評価が変化した[13]。 『世界一周』帰阪前日の『ちちんぷいぷい』では、平成23年台風第12号の被災自治体・関係機関へ収益を寄付することを目的に、河田が旅先で描いた絵から5作品をあしらった“世界の水彩画Tシャツ”(全500枚・各種類100枚限定)を中之島公園(大阪市北区)において1枚1,000円で販売することを視聴者に告知[14]。帰阪の当日に販売したところ、『ちちんぷいぷい』の放送中に完売した。 「花の応援マン」英語が堪能でスポーツアナウンサーとしての経験もあることから、ロンドン・ソチ両オリンピックの期間中には、毎日放送代表の取材リポーター「花の応援マン」として会場に派遣。応援団風の学生服姿で、日本代表への応援企画を展開するかたわら、『ちちんぷいぷい』を中心とするテレビ・ラジオ番組向けに会場の「周辺」を取材していた。 毎日放送には、国際的なスポーツ競技大会において、会場内部の取材席やプレスルームなどでの取材許可証を与えられていないことが多い。このため、河田が取材できる範囲は、許可証の対象から外れた「周辺」や会場のある地域に限られていた。しかし河田は、取材で派遣されるたびに、「一般客」の立場で注目競技の入場券を確保。会場で競技の模様を独自に撮影・収録しないことを条件に、「一般客」の1人として競技を観戦したうえで、観戦後に会場の外からリポートを送っていた。ソチオリンピックのフィギュアスケート・男子シングル種目では、ショートプログラムを会場の上段席で見届けたにもかかわらず、翌日開催のフリープログラムでチケットの入手に失敗。結果として、羽生結弦の金メダル獲得の瞬間を見逃してしまった。ただし、会場で観戦できない競技でも、パブリックビューイングなどで観戦した模様をリポートで伝えることがあった。 また、競技取材の合間には、会場のある街ならではの施設・サービス・風景・家庭・風習などを幅広く取材。さらに、取材先では、日本代表の選手や関係者にたびたび遭遇している。『ちちんぷいぷい』などの番組では、このような独自取材を基に、取材許可証を有するNHKや在京民放局とは趣の異なる内容のリポートを連日放送。ソチオリンピックの期間中には、『ちちんぷいぷい』向けの街頭取材中に、同オリンピック組織委員会のスタッフから「逆取材」を受けた。 さらに、日本代表への応援企画では、寄せ書き用の白い布とオリジナルのピンバッジを持参。会場近辺に住む日本人や、会場で出会った観客に呼び掛けたうえで、白い布に日本代表への応援メッセージを書かせていた。また、会場や取材で出会った一般人にピンバッジを進呈したり、手持ちのピンバッジを交換したりしていた。 なお、2016年のリオデジャネイロオリンピックでは、『ちちんぷいぷい』のレギュラー陣から山中・廣田遥(元トランポリン女子日本代表)・遠山奨志(毎日放送野球解説者)を「花の応援マンinリオ」として周辺取材へ派遣。同番組金曜日の総合司会などを務める河田から、上記の衣装や企画を引き継いでいた。 出演映画・作品現在の出演番組
テレビ
ラジオ
過去の出演番組テレビ
以下の番組には、『ちちんぷいぷい』の「昔の人は偉かった」のロケで岡山・広島両県を行脚中の2013年1月以降に、くっすんと共に飛び入りで出演。
ラジオ
実写映画
脚注
関連人物外部リンク
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