沖縄県立豊見城高等学校(おきなわけんりつとみしろこうとうがっこう)は、沖縄県豊見城市にある県立高等学校。
所在地の豊見城市の読みは「とみぐすく」だが、豊見城南高校と同様に校名の読みは「とみしろ」である。
文化祭は「とみ高祭」という。
沿革
- 1965年6月24日 - 豊見城高等学校誘致期成会設立
- 1965年9月25日 - 政府立豊見城高等学校設立を中央委員会で認可
- 1966年2月1日 - 初代校長 砂川玄隆、教頭 新垣博 発令
- 1966年2月22日 - 校章制定
- 1966年4月11日 - 事務所を現在地に移転
- 1966年4月 - 琉球政府立豊見城高等学校として開校。普通科、家政科を設置。
- 1966年4月13日 - 開校式・第1回入学式(普通科540名、家政科108名)、PTA設立総会
- 1966年7月20日 - 校旗贈呈並びに樹立式、後援会設立総会
- 1966年8月10日 - 女生徒の制服を制定
- 1967年2月4日 - グラウンド敷地決定、土地購入11,456坪
- 1967年4月6日 - 第2回入学式(普通科520名、家政科104名)
- 1967年10月1日 - 新垣博教頭首里高校へ、川崎幸明教頭赴任
- 1967年11月8日 - 校門および堀工事完了
- 1968年4月6日 - 第3回入学式(普通科500名、家政科100名)
- 1968年7月18日 - 運動場完成記念式典挙行
- 1968年9月16日 - 文部大臣旗争奪全国高校弁論大会において最優秀賞
- 1968年10月6日 - 第1回 体育祭
- 1969年2月22日 - 校歌制定・同発表会 豊見城祭
- 1969年3月1日 - 第1回卒業式(卒業生602名)
- 1969年4月7日 - 第4回入学式(普通科480名、家政科96名)
- 1969年8月31日 - 砂川玄隆校長退職
- 1969年10月1日 - 第2校長 西平秀毅発令
- 1969年12月3日 - 図書館竣工
- 1970年3月3日 - 第2回卒業式(卒業生590名)
- 1970年4月7日 - 第5回入学式(普通科470名、家政科94名)
- 1970年10月1日 - 川崎幸明教頭 久米島高等学校長へ、玉城仁得教頭赴任
第2回文化祭
- 1971年3月2日 - 第3回卒業式(卒業生578名)
- 1971年4月7日 - 第6回入学式(普通科450名、家政科90名)
- 1971年10月16日 - 第2回 体育祭
- 1972年3月2日 - 第4回卒業式(卒業生552名)
- 1972年3月31日 - 西平秀毅校長退職
- 1972年4月1日 - 第3代校長 玉城啓佐発令
- 1972年4月7日 - 第7回入学式(普通科450名、家政科90名)
- 1972年5月15日 - 沖縄返還により沖縄県立豊見城高等学校となる。
- 1973年3月1日 - 第5回卒業式(卒業生549名)
- 1973年3月29日 - 第20回沖縄県高等学校春季野球大会で優勝
- 1973年3月31日 - 玉城啓佐校長 県教育庁へ転出
- 1973年4月1日 - 第4代校長 福地蔡勇氏発令
- 1973年4月9日 - 第8回入学式(普通科450名、家政科90名)
- 1974年3月1日 - 第6回卒業式(卒業生494名)
- 1974年4月8日 - 第9回入学式(普通科450名、家政科60名)
- 1974年7月22日 - インターハイ弓道優勝 全国制覇
- 1974年10月10日 - 第3回 体育祭
- 1975年3月1日 - 第7回卒業式(普通科410名、家政科74名、計484名)
- 1975年3月 - 甲子園出場。(1回戦:習志野3-0、2回戦:日大山形4-2、準々決勝:東海大相模1-2)
- 1975年4月1日 - 校長 福地蔡勇氏退職、教頭 玉城仁得氏 北山高校へ転出 校長 玉城深二郎、教頭 新城久雄発令
第47回全国高校選抜野球大会 対東海大相模 準々決勝
著名な卒業生
交通
バス路線
脚注
関連項目
外部リンク
部活動実績 |
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