Share to: share facebook share twitter share wa share telegram print page

 

樋詰橋

樋詰橋
左岸下流側、低水敷より望む
基本情報
日本の旗 日本
所在地 埼玉県桶川市川田谷
用途 道路橋
路線名 市道18路線[1]
管理者 桶川市
座標 北緯35度58分17.9秒 東経139度31分57秒 / 北緯35.971639度 東経139.53250度 / 35.971639; 139.53250座標: 北緯35度58分17.9秒 東経139度31分57秒 / 北緯35.971639度 東経139.53250度 / 35.971639; 139.53250
構造諸元
形式 桁橋
材料 木桁、橋脚は
全長 49.48メートル
3.14メートル
地図
樋詰橋の位置
樋詰橋の位置
樋詰橋の位置
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
テンプレートを表示

樋詰橋(ひのつめばし、ひつめばし)は、埼玉県桶川市川田谷の荒川に架かる桶川市道18号線[2]冠水橋である。

概要

橋は荒川の河口から51.6キロメートルの地点に架かる[3][4]。現行橋は全長49.48メートル、幅員3.14メートル[5]の木桁橋で、下部工(橋脚)は直径400 mmの鋼管製(パイルベント橋脚)である。橋台はコンクリート製である。上部工(橋桁)において、地覆は木製で高さ160 mmであり、その外側端にパイプ(ガス管)を立ててロープを張った簡易な欄干が設置されている。橋の主要部材となる木材は米松が使用され、クレオソート油を塗布して防腐処理が施されている[注釈 1]。各種通行制限があり、幅員制限は標識にて1.8  mで橋の両入口に進入制限用のポールがあり、設計荷重は農業用トラクターを通すため6トンだが[注釈 1]、重量制限は標識にて3.0 tの規制が敷かれている。スリップ防止のため、路面はアスファルト舗装が施されている。道幅が狭いことから片側交互通行である。管理者は桶川市である。右岸側の取り付け道路は荒川右岸の堤防に設けられた長さ961.8メートルの横堤の出丸第二横堤(1934年2月9日竣工)[6][7]に至る。 近接する開平橋太郎右衛門橋が通勤時間帯である朝夕を中心に混雑し、桶川・上尾市から川島町方面、および入間川に架かる冠水橋の出丸橋を経由して川越市方面への抜け道となるため、冠水橋としては通行量はかなり多い。桶川市の1993年(平成5年)の調査によると、1日当たりの通行量は自転車も含めておよそ1700台[注釈 2]で増加傾向であった[8]。なお、開平橋と太郎右衛門橋の間はおよそ5 km強離れている[4]。冠水橋なので、荒川の増水時は欄干が撤去され、通行止めとなる事がある[9][10][11]。欄干の着脱は管理要員として年間委託された近隣住民が行なっている[注釈 1]

2012年(平成24年)に川上に架かる北本市高尾の高尾橋が本橋同様の木桁橋からコンクリート桁橋に改修された。かつては鴻巣市原馬室の原馬室橋や、上尾市平方西野橋なども木橋の冠水橋であったが、何れの橋も主構造が木桁以外に更新されたため、荒川本流で残る木橋の道路橋[注釈 3]は樋詰橋が唯一となった。

歴史

旧荒川(荒川の旧流路)の一部

荒川は昔、樋詰村(現桶川市大字川田谷字樋詰)の南西にある「旧荒川」を含む流路が本流だった。 極端に蛇行していた部分で、氾濫を繰り返していたため、1920年大正9年)より開始された荒川の河川改修[12][13]の一環で、昭和初期に行われた荒川の河川改修などによる流路変更によって直線化されたことにより、荒川と旧荒川の間に取り残された同地区の農耕地を結ぶ生活道路となっている橋である。

高畠の渡し

かつては樋詰橋付近の旧荒川で、現在の桶川スポーツランドが立地する場所の辺り[14]に「高畠の渡し」と称される渡船場明治期の中頃より存在していて川田谷村字樋詰(旧樋詰村)と出丸村出丸下郷(旧出丸下郷村)を結んでいた[15]。渡船場には渡し守が一人常駐していた。この渡船場は当時の地元有力者が桶川と川越を結ぶ交通路を想定して入間川の「土橋の渡し」(現出丸橋)と共に設けたものと云う[15][注釈 4]。この渡船場は大正期より実施された荒川の河川改修に伴ない、捷水路(新河道)が開削されたことにより自然消滅する形で廃止された[15]

その荒川の新河道には1927年昭和2年)頃[注釈 1]より渡船に代わって舟を4艘並べて固定し、舟の上に木の板を渡した舟橋が現在の樋詰橋とほぼ同じ場所に架けられ[16][14]1937年(昭和12年)〜1938年(昭和13年)頃まで使用された[16]。橋から誤って転落して命を落とした人もいたという[8]

木造冠水橋

樋詰橋の渡り初め(1962年)

その後はかつての出丸橋や太郎右衛門橋に似た木製の橋脚で、上流側に丸太を斜めに傾けた木組みの流木避けが設置されていた木造冠水橋が架けられた。木製の地覆はあるが、欄干は設置されていない。所謂昭和の大合併により1955年(昭和30年)3月10日に川田谷村が合併し、橋の所在地が桶川町(現桶川市)となった。この橋は1961年(昭和36年)10月27日に発生した台風第26号由来の豪雨よる洪水で翌日夜半に流失した[17]。橋桁は大和町(現和光市)まで流されていて10月30日および11月1日に地元民の協力を受けて回収作業が行なわれ、2台のトラックを使って現場から運び出され、地元の樋詰氷川神社境内に保管された[17]。橋は通行止めになりその間、工事を急ぐため自衛隊に工事を打診したところ、朝霞駐屯隊建設群が11月4日に現場に視察に訪れ、その結果作業隊約30名が動員され、11月20日に工事着手された[17]。工事は順調に進捗し、11月28日には仮橋が架けられ仮復旧工事が完了した[17]。仮橋は町に引き渡され、12月1日より通行可能となった[17]。仮橋の幅員は1.5メートルで重量制限は1トンで、マメトラ耕耘機も通れるようになった[17]。復旧が急がれたのは、重要な交通路であったことや、農繁期であったためであった[17]。全面復旧は翌年6月1日で、10時より開通式が挙行され、町長の手によるテープカットのほか、神官を先頭に三組の夫婦や参加者一同による渡り初めが行なわれた[18][注釈 5]

1966年の橋

架設当初の現樋詰橋(1966年)

1965年(昭和40年)8月、台風17号よる洪水で流失した[20]。その後仮設の橋が架けられたが、1966年(昭和41年)4月より同年8月中旬ごろの完成を目標に復旧工事が行なわれ[21]、同年度中に鋼管パイル製の橋脚を持つ、現在の形式の冠水橋に架け替えられた[8]。橋長は49.6メートル、幅員は3.6メートルであった[20]。工事はKK島村組が請け負った[20]。架設に要した工費は1044万円であった[20]。今後は流失または損壊するたびにこの橋梁形式が今日まで踏襲され続けることとなる。

1982年(昭和57年)8月の台風10号による洪水でも橋が一部損壊したため通行不能となり、同年9月の台風第18号が追い打ちをかける形でさらに損壊が深刻化した[22]。復旧工事は渇水期を待って行われることとなり、同年11月より3ヶ月の工期をかけて橋の架け替えが行なわれた[22][注釈 1]

1996年平成8年)秋、台風17号よる洪水で流失し、1997年(平成9年)3月5日に復旧工事が完了し、開通している[23]。復旧は国からの補助を受け、要した工費は2540万円であった[8]

2011年(平成23年)夏、台風12号による水害で橋が損壊し、2012年(平成24年)1月中旬より復旧工事のため通行止めの措置が取られたが[24]、工事の際に主桁の腐食が見つかったため、橋桁を全架け替えすることとなった[25]。復旧工事が完了し、予定より10日ほど前倒しの同年4月17日10時より通行止めが解除されている[26]

2022年令和4年)7月5日に転落防止柵の補修が行なわれた。補修作業の際は橋の通行止めが実施された[27]

橋の周辺

樋詰橋周辺の荒川

周辺は広大な堤外地(河川敷)を右岸側に有している。荒川が複雑に蛇行していた名残で、一部は河跡湖として残っている。河川敷は主に農地になっている。また横堤の川下側にハンノキ林がある[28]。橋付近の堤外地には鹿ニホンジカ)も出没する[29][30]。 右岸側は荒川沿いの低地に位置し、連続した堤防が設けられているが、左岸側は大宮台地の南方に延びる舌状台地の先端に位置しており、連続した堤防が存在しない。旧荒川で桶川市と川島町との境界を成しているほか、橋の下流側は江川を挟み上尾市の市域となっている。

風景

隣の橋

(上流) - 圏央道荒川橋 - 太郎右衛門橋 - 樋詰橋 - 西野橋 - 開平橋 - (下流)

脚注

注釈

  1. ^ a b c d e 外部リンク節の『樋詰橋 住民の管理する生活道路 12』を参照。
  2. ^ 1993年10月19日の日交通量:自動車1575台、バイク・自転車207台、徒歩6人。外部リンク節の『樋詰橋 住民の管理する生活道路 12』を参照。
  3. ^ 但し人道橋では秩父湖に架かる秩父湖橋と称される吊り橋があり、主塔や根太(梁)などの主構造は鋼材だが、木床板が使用されている。
  4. ^ 外部リンク節の『荒川 - 樋詰橋の周辺』も参照。
  5. ^ 土木学会附属附属土木図書館の橋梁史年表では1962年6月13日開通と記されている[19]

出典

  1. ^ 桶川市修繕計画橋梁リスト”. 桶川市. 2020年11月6日閲覧。
  2. ^ 通行止め・通行規制橋梁リスト(H23.4月時点) (PDF) p.9 - 国土交通省
  3. ^ 荒川上流河川維持管理計画【国土交通大臣管理区間編】” (PDF). 国土交通省 関東地方整備局. p. 98 (2012年3月). 2017年11月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月3日閲覧。
  4. ^ a b 企画展「荒川の橋」荒川・隅田川の橋(amoaノート第8号)” (PDF). 荒川下流河川事務所(荒川知水資料館). 2005年11月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月3日閲覧。
  5. ^ 荒川の潜(もぐ)り橋「冠水橋」 - 荒川知水資料館(Ara on line)(2013年2月6日付けのアーカイブキャッシュ)
  6. ^ 埼玉県県民部県史編さん室『荒川 人文II -荒川総合調査報告書3-』埼玉県、1988年3月5日、23頁。 
  7. ^ 洪水を受け止める横堤〜広い川幅を活かす〜” (PDF). 国土交通省 関東地方整備局 荒川上流河川事務所(荒川上流部改修100年). 2020年2月2日閲覧。
  8. ^ a b c d 平成9年3月15日『朝日新聞』 埼玉面。
  9. ^ 台風18号に伴う樋詰橋通行止めについて”. 桶川市. 2014年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年9月2日閲覧。
  10. ^ 台風18号に伴う交通規制について(通行止め)”. 桶川市 (2015年9月9日). 2015年9月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年9月10日閲覧。
  11. ^ 交通規制情報”. 川島町 (2015年9月9日). 2015年9月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年9月10日閲覧。
  12. ^ 荒川の歴史 明治時代以降 - 国土交通省 関東地方整備局 荒川上流河川事務所
  13. ^ 荒川上流部改修100年”. 2017年1月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月3日閲覧。
  14. ^ a b 『歴史の道調査報告書第七集 荒川の水運』 69頁。
  15. ^ a b c 『歴史の道調査報告書第七集 荒川の水運』 30頁。
  16. ^ a b 『歴史の道調査報告書第七集 荒川の水運』 52頁。
  17. ^ a b c d e f g 桶川町役場「自衛隊の協力により樋詰冠水橋の仮橋工事完了」『おけがわ町報』第23号、桶川町役場、1961年12月15日、1頁。 『市制10周年記念 広報おけがわ縮刷版 第一巻』 90頁。)
  18. ^ 桶川町役場総務課「樋詰橋渡りぞめ」『町報おけがわ』第25号、桶川町役場総務課、1962年6月10日、1頁。 『市制10周年記念 広報おけがわ縮刷版 第一巻』 96頁。)
  19. ^ 樋詰橋1962-6-13 - 土木学会附属土木図書館橋梁史年表。2023年5月10日閲覧。
  20. ^ a b c d 桶川町役場総務課「カメラニュース - 待望の樋詰冠水橋完成」『広報おけがわ』第82号、桶川町役場総務課、1967年2月10日、7頁。 『市制10周年記念 広報おけがわ縮刷版 第一巻』 304頁。)
  21. ^ 桶川町役場総務課「樋詰冠水橋復旧工事に着手」『広報おけがわ』第73号、桶川町役場、1966年5月10日、3頁。 
  22. ^ a b 議会だより編集委員会「樋詰橋復旧を早急に」『桶川市議会だより』第48号、桶川市議会事務局、1967年2月10日、7-8頁。 
  23. ^ 秘書広報課『広報おけがわ 3/15』第704号、桶川市役所、1997年3月15日、4頁。 
  24. ^ 樋詰橋災害復旧工事について”. 川島町. 2012年4月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月26日閲覧。
  25. ^ 議会だより編集委員会「樋詰橋災害復旧事業」『おけがわ市議会だより』第166号、桶川市議会、2012年6月1日、5頁。 
  26. ^ 樋詰橋災害復旧工事の完成について”. 川島町. 2012年4月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月26日閲覧。
  27. ^ 樋詰橋(市道18号線)の通行止めのお知らせ【令和4年7月5日】”. 桶川市 (2022年6月28日). 2012年4月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月10日閲覧。
  28. ^ ハンノキ林”. 荒川上流河川事務所. 2022年7月3日閲覧。
  29. ^ シカ目撃情報”. 川島町. 2022年10月6日閲覧。
  30. ^ 二ホンジカに関する協議会の対応について” (PDF). 荒川上流河川事務所 (2020年8月12日). 2022年10月6日閲覧。

参考文献

  • 『市制10周年記念 広報おけがわ縮刷版 第一巻』桶川市役所総務部広報広聴課、1980年9月10日。 
  • 埼玉県立さきたま資料館『歴史の道調査報告書第七集 荒川の水運』埼玉県政情報資料室、1987年4月。 
  • “生活の足が復旧 通勤通学・農耕に利用 桶川荒川の樋詰橋/埼玉”. 朝日新聞 朝刊埼玉 (朝日新聞社): p. 0(朝日新聞クロスサーチ). (1997年3月15日) 

関連項目

  • 木橋
  • 川島町 - 立地自治体ではないが、本橋の交通規制情報を提供するなど当橋との関わりがある。

外部リンク

Kembali kehalaman sebelumnya