『梨のつぶて』(なしのつぶて)は、丸谷才一が最初に著した評論集。
1966年10月15日、晶文社より刊行された。装丁は平野甲賀。正式のタイトルは「梨のつぶて 丸谷才一文芸評論集」。
内容
Ⅰ 文明
タイトル |
初出 |
備考
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未来の日本語のために |
『中央公論』1964年3月号 |
『日本語のために』(新潮社、1974年8月)に収録された。
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津田左右吉に逆らって |
書き下ろし |
『丸谷才一批評集 第1巻 日本文学史の試み』(文藝春秋、1996年5月)に収録された。
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日本文学のなかの世界文学 |
『展望』1966年1月号 |
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実生活とは何か、実感とは何か |
『群像』1966年2月号 |
『丸谷才一批評集 第1巻 日本文学史の試み』(前掲)に収録された。
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Ⅱ 日本
タイトル |
初出 |
備考
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舟のかよひ路 |
『文芸読本 源氏物語』(1962年9月) |
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家隆伝説 |
『風景』1965年10月号 |
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吉野山はいづくぞ |
『展望』1965年3月号 |
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鬼貫 |
『ユリイカ』1959年1月号 |
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空想家と小説 |
『文藝』1963年1月号 |
『丸谷才一批評集 第4巻 近代小説のために』(文藝春秋、1996年4月)に収録された。
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菊池寛の亡霊が |
『秩序』第9号(1961年7月) |
『丸谷才一批評集 第4巻 近代小説のために』(前掲)に収録された。
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梶井基次郎についての覚え書 |
『近代文学鑑賞講座』第18巻(1959年12月) |
『丸谷才一批評集 第4巻 近代小説のために』(前掲)に収録された。
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小説とユーモア |
『東京新聞』1960年9月12日、13日、15日 |
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Ⅲ 西欧
タイトル |
初出 |
備考
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「嵐が丘」とその付近 |
『世界名作全集』第8巻(1960年10月) |
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サロメの三つの顔 |
『フィルハーモニー』1965年1月号 |
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ブラウン神父の周辺 |
『世界推理名作選』(1962年10月) |
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若いダイダロスの悩み |
『ジョイス研究』(1955年7月) |
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西の国の伊達男たち |
『三田文学』1959年4月・5月合併号 |
『丸谷才一批評集 第4巻 近代小説のために』(前掲)に収録された。
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エンターテインメントとは何か |
『近代文学』1953年3月号 |
『丸谷才一批評集 第4巻 近代小説のために』(前掲)に収録された。
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グレアム・グリーンの文体 |
『英文法研究』1959年11月号 |
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父のいない家族 |
『英語青年』1958年2月号 |
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- 「未来の日本語のために」では、『マタイによる福音書』第6章26節から31節までの文語訳(大正6年)と口語訳(昭和29年)を全文引用して論じている。後者について丸谷は、「イエスの口から断じて出るはずがない、平板で力点がなくて、たるみにたるんでいる駄文」「世界の文明国のなかで、新教徒が、これほど馬鹿ばかしい文体で書かれた聖書を読まされている国が、そういくつもあるとはぼくには思えない」[1]と評した。
- 「津田左右吉に逆らって」は、初め『中央公論』で掲載を断られ、『展望』に持ち込むも反応がなく、『文学』では津田批判の部分の全文削除を条件に掲載を了承される。こういった事情から書き下ろしとなったという[2]。
- 「西の国の伊達男たち」は、「T・S・エリオットの『荒地』は美しい反復によって終る。/Shantih Shantih Shantih/同じ言葉がくりかえされるのは、しかもそれが三度であるのは、もちろんある種の呪術的効果をねらったものだ」[1]という文章で始まる。
脚注
関連項目