柳家さん吉
柳家 さん吉(やなぎや さんきち、1938年〈昭和13年〉1月18日 - 2022年〈令和4年〉2月15日[1])は、落語協会に所属していた落語家。新潟県中蒲原郡村松町(現・五泉市)出身。本名∶榑井 昌夫(くれい まさお)[1]。 経歴新潟県立村松高等学校卒業後1957年6月に五代目柳家小さんに入門[2]、柳家小二三を名乗[1]り内弟子修行[3]。 1960年11月に二ツ目昇進し、柳家小三郎に改名[1]。1962年、さん吉に改名。(※一部の資料で-1963年改名となっている) 1973年3月、三升家勝彌、橘家圓平、三遊亭さん生、三代目吉原朝馬、柳家小のぶ、柳家かゑる、三升家勝二、桂小益、林家枝二、さん吉の十人で真打昇進。 サウナで倒れ全身火傷を負ってしまい、闘病・リハビリをしていた。 2022年2月15日午前10時、心不全のため東京都内の病院で死去[4][5]。84歳没。訃報は死去から4日後の2月19日に落語協会から発表された[1][4]。 芸歴人物1969年4月から1970年6月まで『笑点』の大喜利メンバーを務め[1][6]、その後は『アフタヌーンショー』(NET系)、『サントリー出前寄席』(文化放送)、『お助け同心が行く!』(テレビ東京、1993年4月期に放送)でもレギュラーを務めた[1][6]。 一方で寄席でも落語を演じることは少なかった[6]。『笑点』出演時代から大の写真好きとして知られていた[6]。 脚注注釈出典
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