東京都公文書館
東京都公文書館(とうきょうとこうぶんしょかん、英訳名:Tokyo Metropolitan Archives)は、東京都が設置する公文書館である。 概要明治以来続けられてきた修史事業と東京府・東京市から引継ぎの公文書の保存を一元的に行う施設として、1952年(昭和27年)に設置された「都政史料館」を前身とする。その後、都政史料館は公文書保存機関としては設備が貧弱であったことに加え、1959年(昭和34年)に日本学術会議が「公文書の散逸防止について」と題する勧告において国や地方自治体の公文書保存態勢の充実を求めたことが契機となり、都は新たに公文書館を設置することになり、東京都都政史料館と東京都総務局総務部文書課の一部機能を統合して、1968年(昭和43年)10月1日、「東京都公文書館」が開館した[2]。 港区海岸にあったが、竹芝地区の再開発計画に伴い、2012年(平成24年)に世田谷区玉川の旧東京都立玉川高等学校校舎に仮移転し[2]、20年4月1日、国分寺市泉町の中央鉄道学園跡地に本移転した[3]。北側には先行して開館した都立多摩図書館が所在し、南側には国分寺市の新庁舎が建てられ(2025年1月開庁)[4]、東側には都立武蔵国分寺公園が広がる。 施設1階を公開機能、2・3階を保存機能とするボリューム・断面構成とし、敷地内の既存樹木を最大限残しながら公園とつながる回遊路を創出し、自然の様相を印象づけるリン酸処理スチールパネルや地場産材の多摩産スギを活用している[5]。「知の積層(公文書)」から新たな知が湧き出すことをイメージし、建物中央に国分寺崖線(東京都を横断する「大地のアーカイブ」)を想起させる多摩産スギの積層木材による展示壁「アーカイブウォール」を配した[5]。この「アーカイブウォール」は、電子コンテンツや開架書架、重要文化財資料の公開承認施設となる展示機能を持ち合わせている[5]。 都立多摩図書館とともに公文書・書籍の保存に適した「魔法瓶構造(建築材料の熱容量を駆使した二重壁システム)」としている[5]。構成が近似するこの両館において、「ZEB(ゼロエネルギービルディング)(都立公文書館)」や「BCP(有事の際の機能維持)(都立多摩図書館)」など、両館を取り巻く時代背景や社会的要請にフィットさせ、機能性を向上させるための素材配置や空間構成、ディテールそのものを、それぞれの建築の個性として表出させている[5]。 2021年度グッドデザイン賞受賞[6]。2022年(令和4年)には、日本建設業連合会主催の第63回BCS賞を受賞した[7]。 所蔵資料所蔵資料は下記のとおりである(所蔵数は2012年度末現在)[2]。
1991年(平成3年)度以降、所蔵資料のマイクロフィルム化が進められ、購入・寄贈分を含め2012年度末現在で72,768リール所蔵している。また、2003年度以降、利用数の多い東京府市文書、東京府・市・都公報を中心に約1,655万コマがマイクロフィルムから電子媒体に変換され、通常は電子画像により閲覧に供している[2]。 史料編纂事業東京都公文書館では、都の実施する史料編纂事業を担当し、中でも東京市史稿の編纂事業は、1902年(明治35年)以来100年以上の歴史がある。 東京市史稿→詳細は「東京市史稿」を参照
江戸・東京(旧15区)に関する編年体史料である。1902年(明治35年)に東京市が塚越芳太郎を主任[8]として編さん事業を開始し、1911年(明治44年)に『皇城篇 第1巻』を刊行して以来、戦後は『市街篇』と『産業篇』に絞って、刊行を続けた。『市街篇』は1996年(平成8年)の第87巻の刊行を最後に、後述の『都史資料集成』に移行し[9]、2021年(令和3年)の『産業篇』第61巻をもって終刊となった[10]。 都史資料集成『東京市史稿』市街篇の後を継ぐ、東京の近代史に関する資料集である。編年体の形式をとる東京市史稿とは異なり、対象年代ごとに特有の主題に即して資料を配列したテーマ別資料集の形となっている。1996年(平成8年)から編纂を開始し、三多摩地区の東京府編入以後の1894年(明治27年)から1945年(昭和20年)までを対象とする第1期全12巻を1998年から2012年に刊行した[11]。1943年(昭和18年)の都制施行から昭和30年代までを対象とした第2期の刊行を2013年より行っている[12]。 沿革
文化財重要文化財
開館日・開館時間開館時間
休館日
交通アクセス脚注
参考文献
関連項目外部リンク |