東久留米市立図書館
東久留米市立図書館(ひがしくるめしりつとしょかん)は、東京都東久留米市にある公共図書館。 中央図書館、滝山図書館、ひばりが丘図書館、東部図書館からなる。 中央図書館は東久留米市による直接運営、滝山図書館、ひばりが丘図書館、東部図書館の3地区館は2013年(平成25年)4月から指定管理者制度を導入し、株式会社図書館流通センターが指定管理者となっている[5]。 沿革前史町制時代の文庫活動町制時代の昭和30年代半ば、久留米町は大規模団地が次々に建設され、1960年(昭和35年)からの10年間で4.1倍という東京都で最大の増加率を記録し、一時は人口約7万8千人で、町としては日本一人口が多かった[6][7]。人口増加に行政の各種公共施設整備が追いつかず、団地の自治会や公務員住宅の住民活動から子どものための文庫が多く誕生したが、これらの文庫の活動は子どもへ本を手渡すサービスを行うとともに、行政へ公立図書館の設置を働きかけるという側面も持っていた[8][9]。 1970年(昭和45年)8月、公立図書館の建設に向けた図書選定委員会が発足し、1,016冊を選定した[10][11]。発足時の図書選定委員19名には[11]、児童文学作家の古田足日ら文庫の関係者3名も含まれていた[9]。同年9月には、町内の7文庫が参加した東久留米地域文庫・親子読書連絡会(以下、文庫連)が発足[9]。同年10月、久留米町は市制施行し東久留米市となる[6]。 婦人子ども図書館開館と中央図書館建設への動き1971年(昭和46年)2月、市内の上の原地区に、面積39m2、蔵書約5,000冊の婦人子ども図書館が開館する[10]。これは、東久留米団地自治会が、その団地集会室ではじめた自治会文庫を市に寄付したものである[12]。同年4月には、団地自治会の働きかけもあり、移動図書館「くるめ号」が巡回業務を開始した(開始当時の駐車地は21ヶ所)[13][14]。この時期の東久留米市では、自治会と家庭文庫活動が公共図書館をつくる運動を後押ししたが、中でも文庫連絡会会長や図書館協議会委員も務めた山本幸世の功績は大きい[14]。 1972年(昭和47年)10月、文庫連は勉強会に日野市立図書館長の前川恒雄を招へいし、講演「新しい市民の図書館はどうあるべきか」を行い[15]、11月には市長および教育長とそれぞれ懇談の場を持っている[15]。こうして1973年(昭和48年)には、図書選定委員会を前身とする図書館運営員会が発足するが、役割としては購入図書の選定のみではなく、毎回理想の図書館のあり方が討議され、運営協議会的な性格を持つ会であった[10][11]。こうした中、中央図書館建設計画が市の長期総合計画(昭和53年-60年)に盛り込まれた[16]。 翌1974年(昭和49年)11月19日、ひばりが丘図書館が開館し、12月には中央図書館の開館を見据えた図書館条例が制定された[11]。 東久留米市で市民が公共図書館建設のための運動が起こった同時期、東京都は美濃部知事のもとで、区部と多摩地域の図書館設置状況の格差是正のため、昭和46年度から市町村に対し、図書館を新設する際に必要な建設費の二分の一の額の補助金と、開設後3年間の図書購入費の二分の一を補助するという振興政策推進を行っていた[17][18]。東久留米市では、人口急増により学校の建設が急務であったため、中央図書館建設において他市に遅れを取っていた[18]。1975年(昭和50年)9月、初代東久留米市立図書館長として畔上知男が就任して[19]、ようやく中央図書館建設計画が現実的になるが、1976年(昭和51年)、前年のオイルショックに伴う不況の影響を受けた東京都の財政悪化により、図書館建設助成事業はわずか6年間で中断されてしまう[20]。しかし、振興政策の継続を願って結成された「三多摩の図書館を考える会」に市民らが参加し、知事に質問状を出すなど熱心な運動を行って、最終的には図書館建設分の交付金8千万円を獲得する[18]。 中央図書館の開館1977年(昭和52年)3月、中央図書館建設用地の購入費が議会で承認され、同年5月、図書館協議会で建設設計計画についての検討を開始する[16]。同年9月には、建設設計委託料900万円も議会で承認される[16]。市政アンケートにおいては、市民の中央図書館の「利用したい」という回答が87.5%と、期待が高かった[16]。 1978年(昭和53年)3月、建設費が承認議決されると、同年6月には建設工事に着工するが[21]、同年10月、後に「黒い霧事件」と呼ばれる汚職事件が発生し、当時の市長は引責辞任[22]、図書館建設工事が遅れる事態に陥る[22]。このときも、文庫連は要望書や陳情書を出し続け、中央図書館が予定通り完成するよう市に働きかけていた[23]。 こうして、中央図書館は1979年(昭和54年)5月に本体工事を終了し、同年8月4日に待望の開館をむかえる[24]。開館4か月の貸出数は約8万9千冊、利用者数は約3万7千人にもなった[25]。 中規模館3館の開館中央館建設前の市の長期総合計画においては、上の原、ひばりが丘、滝山、青少年センター、浅間町、野火止、南町地区センターの小規模7分館構想で図書館整備計画を打ち出していたが、1985年(昭和60年)9月議会において、小規模分館を廃止し、滝山、ひばりが丘、大門町の各地区に3つの中規模分館をつくる内容が明らかとなった[9][26]。この縮小構想に、分館を望む市民の反対運動は起こるが、活動が実ったのは南町地区の自主運営図書館のみで、市が年間400万円の助成で管理運営は市民が担う「南町コミュニティ図書室」開設が実現した(開設は1989年)[27]。 1987年(昭和62年)に出された「東久留米市立図書館基本構想」での中央館1館、中規模館3館の構想に基づき、最初に滝山図書館が西部地域センターに移設された[28]。 1980年代後半から1990年代、東久留米市の図書館は、利用率が市民の5割を超え、貸出冊数が人口100人当たり500冊以上で、「図書館利用の活発な都市」「活動水準の高い図書館」として評価されている[29][30]。 1996年(平成8年)ひばりが丘図書館が南部地域センター内で開館、1999年(平成11年)に、東部図書館が東部地域センター内で開館し、中規模館3館すべてが完成すると、それまでの小規模分館と移動図書館は、廃止されていく[10]。上の原図書館の廃止については、市民による反対運動が起こるが、市の方針は変更されず、存続はかなわなかった[31]。 2000年代に入ると、2001年(平成13年)9月、多摩六都5市で登録可能となる図書館共通利用カードを発行、近隣市との相互利用を本格的に開始した[10]。2004年(平成14年)には図書館の公式ホームページを開設、同時にインターネット上で蔵書検索と予約が可能となり、広域利用の時代に移っていくなか、中央図書館の開館30周年をむかえる[10]。 指定管理者制度導入をめぐる動き2012年(平成24年)2月、市から地区館3館に指定管理者制度を導入する提案を盛り込んだ「東久留米市立図書館のあり方に関する検討委員会報告(案)」が出される[32]。図書館協議会は案に対し、導入に慎重になることを求めていたが、その意見は反映されず、2013年(平成25年)4月、地区館3館の運営に指定管理者制度が導入される[32]。地区館への指定管理者制度導入から3年後の2016年(平成28年)3月、市教育委員会に「第二次東久留米市立図書館のあり方に関する検討委員会報告」が報告され、中央図書館にも民間活力の導入が望ましいという見解が示される[33]。これを受けて、2012年(平成24年)当時の図書館協議会の委員長であった山口源治郎は、指定管理者制度導入前と後の統計を比較し、市民登録率が低下していること、指定管理者職員の定着率が低いことなどの問題を指摘、指定管理者制度導入の場合の職員の質とサービスの質の低下について主張、問題提起している[34]。しかし、同年11月にはその報告をふまえた「今後の東久留米市立図書館の運営方針(案)」が提示され、11月と12月で2回にわたり市民からパブリックコメントを募集、合計で379通の意見が寄せられた[35]。意見の97%が、方針案の見直しを求めていたが[36]、2017年(平成29年)2月、市教育委員会は「平成33年度から中央図書館と3つの地区館を一体的に運営する指定管理者を導入する」という運営方針を策定した[37]。 略年表
利用案内東久留米市立図書館4館共通の休館日は金曜日。利用登録が可能なのは、東久留米市に在住・在学・在勤している者、隣接市(小平市・東村山市・清瀬市・西東京市・埼玉県新座市)在住者である[43]。 休館日及び開館時間の規定は東久留米市立図書館条例[44]の記載に基づく
9:00-19:00
金曜日、館内整理日(毎月第3火曜日)、年末年始、特別整理期間
金曜日、年末年始、特別整理期間 事業・取り組みなど読書講演会中央図書館が開館する以前の昭和50年度から約20年間、児童文学家・学者・評論家等に講師に招いて「読書」をテーマとした「読書講演会」を行っていた[45][46][47][48][49][50][51][52][53][54][55][56][57][58][59][60][61]。 市内在住者(当時)では、藤沢周平、木暮正夫(昭和51年度)、丹羽基二、古田足日(昭和55年度)らが講師となり、時には東久留米市が舞台となった自作について、市民に語っている[46][49]。中央図書館開館10周年記念となる平成元年度は、過去の講演会講師の手による直筆サイン色紙の展示も行った[56]。 中央図書館
建物面積・構造[64]
時計塔南側入口に面した時計塔は、東久留米市在住の環境造形作家・中野嶈のデザインによる[65]。1980年(昭和55年)、東京東久留米ロータリークラブの創立10周年を記念し、同クラブから寄贈された[66]。中野は、時計を両手で支えている形を抽象化し、「協調の精神」を意味してデザインしている[67]。
滝山図書館昭和50年代に、最も人口密度の高い滝山団地に開設された。市の長期総合計画策定後に設立した、初の独立分館[24]。 市役所の出張所、老人福祉センター、児童館を併設した複合施設「西部地域センター」の2階にある[68]。 基礎情報
ひばりが丘図書館複合施設「南部地域センター」の2階に併設されている[68]。東久留米市と西東京市にまたがるひばりが丘団地の中にあるため、西東京市市民の利用も多い。 基礎情報
東部図書館都営住宅に併設の複合施設「東部地域センター」の1階にある[68]。若い家族連れの利用が多く、隣接する埼玉県新座市民も登録可能で多数訪れている。 基礎情報
脚注注釈出典
参考文献書籍
記念誌・パンフレット
逐次刊行物
関連項目外部リンク
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