Share to: share facebook share twitter share wa share telegram print page

 

木下信

木下信

木下 信(きのした まこと、1884年明治17年)2月8日 - 1959年昭和34年)6月27日[1])は、日本の内務官僚政治家憲政会県知事台湾総督府総務長官、衆議院議員

経歴

長野県上伊那郡中箕輪村[1](現箕輪町)に木下彦四郎の四男[2]として生まれる。第一高等学校を経て、1909年7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。1911年11月、文官高等試験行政科試験に合格し内務省に入省、長野県属となる[3]

以後、熊本県鹿本郡長、同上益城郡長、長野県小県郡長、同県理事官秋田県警察部長、北海道庁拓殖部長、警視庁刑事部長、同警務部長などを歴任[2]

1924年6月、鳥取県知事に就任[4]。同年10月、台湾総督府に転じ、内務局長土木局長となる。さらに、交通局総長を務め、1928年7月、台中不敬事件により免官となる[5]1929年11月、愛媛県知事に就任[2]長崎県知事を経て[6]1931年4月、再び台湾総督府に転じ総務長官に就任した[5]1932年2月、犬養内閣により休職とされ離台した[7]

1936年2月の第19回衆議院議員総選挙で長野県第三区に立憲民政党から立候補し当選。1937年4月の第20回総選挙で落選したが、1942年4月の第21回総選挙で返り咲き、衆議院議員を通算二期務めた。この間、仏印全権特派大使顧問となり、南洋・フィリピン・台湾方面の視察に派遣されている。戦後、日本進歩党に所属した[8]が、公職追放となった[9]

栄典

脚注

  1. ^ a b 愛媛県生涯学習センター データベース「えひめの記憶」愛媛県史 人物 木下 信
  2. ^ a b c 『新編日本の歴代知事』923頁。
  3. ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』200頁。
  4. ^ 『新編日本の歴代知事』764頁。
  5. ^ a b 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』128-129頁。
  6. ^ 『新編日本の歴代知事』1023頁。
  7. ^ 『植民地官僚の政治史』361-362頁。
  8. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』205頁。
  9. ^ 公職追放の該当事項は「推薦議員」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、252頁。NDLJP:1276156 
  10. ^ 『官報』第263号「叙任及辞令」1927年11月12日。

参考文献

  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 岡本真希子『植民地官僚の政治史 - 朝鮮・台湾総督府と帝国日本』三元社、2008年。
公職
先代
相賀照郷
日本の旗 台湾総督府内務局長
1924 - 1927
次代
豊田勝蔵
先代
生野団六
日本の旗 台湾総督府交通局総長
第3代:1927 - 1928
次代
河原田稼吉
事務取扱
先代
高橋守雄
日本の旗 台湾総督府総務長官
第13代:1931 - 1932
次代
平塚広義
Kembali kehalaman sebelumnya