日本NCR
日本NCR株式会社(にほんエヌシーアール、英: NCR Japan, Ltd.)は、情報処理システム、通信システム、ソフトウェア等の製造販売ならびにこれらに関連するサービスの提供する米国NCR社の日本法人。 概要情報システムのグローバル企業であるNCRの日本法人で、製造業に対するデータウェアハウス製品、流通業に対するストア・オートメーション・システム、金融業に対する手形・小切手管理システム、外為システム、コールセンター・システム等の製品を製造販売する他、それら製品のメンテナンス事業等を行っている。一般消費者の目に触れる製品ではレジスタ、バーコードスキャナー等があり、関連会社を通じて現金自動預け払い機(ATM)等の金融機関向け機械の製造も行っている。キャッシュレジスターやATMにおいては、世界最大手である。 2005年(平成17年)12月期の売上構成はコンピュータ製品37%、システム・サービス26%、技術サービス等37%となっている。 歴史前身は間宮勝三郎が創業した株式会社間宮堂を藤山コンツェルンの1社とするべく藤山愛一郎が出資し改名した日本金銭登録機株式会社である。間宮精一は藤山の買収後に日本金銭登録機の技師長となった。その後、愛一郎の弟の田中元彦が副社長、その息子の田中稀一郎が社長を務めた。 戦前に機械式キャッシュレジスターの製造を開始し、アメリカ・NCR社と提携。第二次世界大戦後は戦後初の外資進出となるNCR社からの出資を受け入れ、100%子会社を基本とするNCRの現地法人としては異例の子会社となった。 レジスターの電子化とともに、現金自動支払機(CD)、現金預入払機(ATM)等を開発。また、親会社NCRの開発する大型・中型コンピュータと組み合わせた金融機関向けのコンピュータ機器・システム販売で成長した。2006年(平成18年)現在、大手銀行店舗で見ることの出来る、通帳の記入ページを使い終わったら新たな通帳を発行する通帳記入機は日本NCRが1983年(昭和58年)に初めて開発している。 1970年代から1980年代にかけては親会社NCRが開発するパソコン、UNIXワークステーション、AXパソコンから大型汎用機までをカバーするコンピュータメーカーでもあった[3]。1983年には、8086とZ80を搭載するデュアルCPUアーキテクチャを採用したパーソナルワークステーションNCR9005を発売した[4]。OSとして8086にはMS-DOS、Z80にはCP/M-80をそれぞれ提供[4]。本体価格は89万8,000円(メモリ128KB、5インチFDD、グリーンCRT(グラフィックメモリ64KB)、プリンタ無し)、24ピン漢字プリンタを付け、カラーCRT(グラフィックメモリ192KB)にすると、193万1,800円[5]。また、Apple Computerが日本においてMacintoshを発売する際には保守についての提携も行っていた。 当時は親会社の製造するコンピュータ機器の使用を前提とした自前主義と言われ、代理店販売ではなく直接販売が多かった。1980年代後半の日本の好景気の時期には大型システム導入が相次ぎ、日本NCRもイトーヨーカ堂のスーパーマーケット業界初の全商品・全店舗一括管理のPOSシステム(1985年(昭和60年))、住友銀行の勘定系ホストコンピュータシステム(1986年(昭和61年))等の実績を残している。 尚、パナソニックが海外で「National」ブランドを普及させることができなかった理由は、当時すでにNCRが日本以外の各国で「National」を商標登録していたためである。 コンピュータメーカーからの脱皮しかし、1990年代に入り主力の金融業界・流通業界がバブル景気崩壊によりシステムの需要が低迷、急速に業績が悪化した。レジスター生産は海外に移転、蒲田工場を閉鎖、希望退職者を募集するなどリストラを図るも1995年(平成7年)12月期には上場以来の初の最終赤字となり、1998年(平成10年)12月期には上場以来初の経常赤字まで落ち込んだ。 また、資本関係についても1991年(平成3年)3月に親会社NCRに対しAT&TによるTOBが行われ、AT&Tの子会社となりAT&TGISに改称。日本NCRも1994年(平成6年)6月には日本エイ・ティ・アンド・ティ情報システム株式会社に改称している。1995年(平成7年)頃まではAT&Tブランドのパソコンやワークステーション、汎用機の販売を行っていたが1995年秋にはAT&Tがパソコン、コンピュータ製造から撤退。 1996年(平成8年)1月にはAT&TGISが再びNCRに改称。日本法人も同年4月に再び日本NCRに改称し、1998年(平成10年)4月にはNCRがエヌ・シー・アールホールディングス日本法人を通じてTOBを行い子会社化。2000年(平成12年)6月30日をもって上場廃止となるなど経営の主導権変更が続いた時代となった。 この1990年代のリストラを通じて、親会社NCRともパソコン・汎用機の製造からは撤退、レジスター、ATM等の電子機器は子会社に製造を移管し、主たる事業としては金融業・流通業向けのシステム構築、サーバ販売に移行している。 出身者
主な製品沿革
工場関係会社
その他
脚注
参考文献
外部リンク
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