戴公 姫申 |
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衛 |
第20代公 |
王朝 |
衛 |
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在位期間 |
紀元前660年 |
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都城 |
曹 |
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姓・諱 |
姫申 |
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諡号 |
戴公 |
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生年 |
不詳 |
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没年 |
紀元前660年 |
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父 |
昭伯(頑) |
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母 |
宣姜 |
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戴公(たいこう、紀元前?年 - 紀元前660年)は、衛の第20代君主。黔牟の弟の昭伯(頑)の子。
生涯
昭伯と宣姜の子として生まれる。
懿公9年(前660年)12月、懿公が翟(てき:狄)の侵攻を受けて戦死すると、都の朝歌を放棄した民衆730人は共・滕から逃れてきた民衆と合流し、計5千人を引き連れて曹(現在の河南省滑県)に遷都し、姫申(以降は戴公と表記)を衛君に立てて行宮(あんぐう)を設けた。このとき斉の桓公は公子無詭(むき)を遣わし、戦車300乗、甲士(歩兵)3千人を率いて曹を守らせた。さらに斉の桓公は戴公に乗馬、祭服5称、牛・羊・豕(ぶた)・鶏・狗(いぬ)を300、門材を贈り、夫人にも魚軒(夫人用の車)、重錦(漁皮で飾った錦)30両を贈ってやった。戴公はその年に薨去し、弟の燬(き)が立って衛君(文公)となった。
参考資料
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- 康叔?-?
- 康伯?-?
- 孝伯?-?
- 嗣伯?-?
- 寁伯?-?
- 靖伯?-?
- 貞伯?-前867
- 頃侯前866-前855
- 釐侯前855-前813
- 共伯前813
- 武公前812-前758
- 荘公前757-前735
- 桓公前734-前719
- 州吁前719
- 宣公前718-前700
- 恵公前699-前696
- 黔牟前696-前688
- 恵公前688-前669
- 懿公前668-前660
- 戴公前660
- 文公前659-前635
- 成公前634-前600
- 穆公前599-前589
- 定公前588-前577
- 献公前576-前559
- 殤公前558-前547
- 献公前546-前544
- 襄公前543-前535
- 霊公前534-前493
- 出公前492-前480
- 荘公前479-前478
- 衛君起前477
- 出公前476-前470
- 悼公前455-前451
- 敬公前450-前432
- 昭公前431-前426
- 懐公前425-前415
- 慎公前414-前373
- 声公前372-前362
- 成侯前361-前333
- 平侯前332-前325
- 嗣君前324-前283
- 懐君前282-前253
- 元君前252-前230
- 衛君角前229-前209
- 滅亡
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