成田山大阪別院明王院
成田山大阪別院明王院(なりたさんおおさかべついんみょうおういん)は、大阪府寝屋川市成田西町にある真言宗智山派の寺院。山号は成田山。本尊は不動明王。千葉県成田市にある成田山新勝寺の別院である。通称は成田山不動尊(なりたさんふどうそん)で、近畿三十六不動尊霊場の第28番札所となっている。 1934年(昭和9年)に京阪電気鉄道(現・京阪ホールディングス)の寄進により開創[1]。京阪電車・京阪バスの車両には当院のお札が掛けられている[2]。 1954年(昭和29年)には日本で初めて交通安全祈願専用の祈祷殿が建立され、祈祷車の台数は年間20万台に上る[3]。 歴史明治時代から大阪の人達による成田山新勝寺への信仰が増加し、昭和に入ると大阪への成田山別院の建立を望む声が高まっていたことから、当時の大阪府知事田辺治通の実弟・田辺真弘が、関西信徒を代表して成田山新勝寺に大阪別院の建立を依頼したのがそもそもの始まりである。その場合、どこに大阪別院を建立するかであるが、考えた末に北河内が選ばれることになった。 現在の寝屋川市を含む北河内地域は大阪府北東部にあたる、すなわち大阪の鬼門に相当する。この北河内地域を縦断する京阪本線の開業した1910年(明治43年)当初、北河内郡友呂岐村大字郡・三井の丘陵部に京阪電気鉄道(現・京阪ホールディングス)は「香里遊園地」を開設したが、2年後に同郡枚方町大字伊加賀へ移転した(現・ひらかたパーク)。友呂岐村の跡地は、1920年代に住宅地として香里駅(現・香里園駅)東側の造成が行われたのち、京阪の手で「香里園経営地」として住宅が分譲されるが[4][5]、依然として未開発地が多くあった。 そこで、京阪は成田山別院を大阪に建立するとの話を聞くと、北河内は大阪の「鬼門」であるという良くないイメージを払拭するためにも、積極的に成田山大阪別院の誘致を行い、香里駅東側の未開発地を境内地として成田山大阪別院に寄進することにした。 こうして作られることになった成田山別院は、根来寺塔頭の明王院が京阪からの寄進地に移転することで成立し、1934年(昭和9年)に本堂も京阪の寄進で建立され、成田山大阪別院明王院が創建された。このような経緯から周辺は新興住宅地であり、成田山新勝寺のような門前町は形成されていないが、1967年(昭和42年)に成田西町・成田町・成田東町、1973年(昭和48年)に成田東が丘・成田南町の町名が誕生している。 境内
主要年間行事
その他
前後の札所
脚注
関連項目
外部リンク |