御器所
御器所(ごきそ・ごきしょ[1])は、愛知県名古屋市昭和区の地名。住居表示実施地域の御器所一丁目から御器所四丁目と、未実施の御器所町がある[WEB 6]。 地理御器所一丁目から御器所四丁目については名古屋市昭和区中央西部に位置する[1]。西は白金一丁目、北は鶴舞三丁目・鶴舞四丁目に接する[1]。また、御器所町は区北西部に残存し、西で鶴舞町および鶴舞一丁目、北で千種区および吹上一丁目と接している[2]。町域の大部分は名古屋工業大学のキャンパスにあたる[2]。 当地は名古屋台地と総称される台地のうち、特に御器所台地と称される部分に位置する[3]。また、東郊通付近は旧精進川により形成された沖積低地となっている[4]。 歴史御器所の地名の初出は『昭和区誌』によれば、『吾妻鏡』の1190年(文治6年)4月19日条である[5]。御器所は後述の通り熱田神宮の神領であったものが、国衙領となり、それを平家が私物化し、平家滅亡後に源頼朝の手を経て一条能保に嫁いだ頼朝の妹に渡ったとされる[5]。御器所の地は、彼女の没後に能保の子に相続されたが、南北朝時代に至って御器所保と称される荘園となった[6]。 1351年(観応2年)には当時の御器所保地頭職にあたる高階重成が臨川寺にこの地を寄進し、翌年には地頭職も寄進している[6]。 当地の名物として御器所大根を用いた沢庵漬けが知られており、江戸時代に屋号を萬太と称する者により盛んに行われるようになり、1920年(大正9年)の産額は78万974貫、41万6146円と記録されている[8]。 町名の由来『尾張志』によれば、当地は熱田神宮の神領であり、神事に使用する土器を調進する場所であったことによるという[9]。また、御器所は「ごきそ」と読むが、昭和に行われた住居表示により成立した御器所一丁目から御器所四丁目については行政当局により住居表示に関する法律の「よみやすく、かつ簡潔なよみを使う」との趣旨により、「ごきしょ」の読みが与えられた[新聞 1]。しかし、この読みについてはほとんど浸透せず、当地の住民にすら認知されない状況であったため、平成に入ってから公式に「ごきそ」に戻されている[新聞 1]。 沿革
→「御器所村」も参照
字一覧南永金・滝子・稗田・高辻・下島田・江越・下赤島・高縄手・上赤嶋・段子田・下島田・坂下・地村・北永金・中屋敷・門屋敷・亀口・円上・鎌田・白金・向田・鳥喰・大清水・古市場・布池・河田・都島・菱池・吸場・外田・島退・島西浦・砂田・北市場・登城海道・東脇・出口・念仏・玄方・天神前・天神東・荒畑・東寺・山崎・木市・西狭間・北丸屋・北山・北山前・東畑・下離松・上離松・山ノ田・東狭間・吹上・竹戸・小針・西鶴舞[19] 世帯数と人口2019年(平成31年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[WEB 2]。
人口の変遷国勢調査による人口の推移
学区市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 11]。また、公立高等学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[WEB 12]。なお、小・中学校は学校選択制度を導入しておらず、番毎で各学校に指定されている。
施設御器所町
御器所一丁目御器所二丁目
御器所三丁目
御器所四丁目
史跡人物その他日本郵便
脚注WEB
新聞文献
参考文献
関連項目外部リンク
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