広島市立狩小川小学校
広島市立狩小川小学校(ひろしましりつ かこがわしょうがっこう)は、広島県広島市安佐北区にある公立小学校。 概要1873年(明治6年)に博詳舎(後の狩留家小学校)、至誠館(後の小河原小学校)、成務館(後の上深川小学校)として発足以来、130年の歴史を持つ。 広島市の北北東の山地(林間部)の麓に校舎を構えており、清流を臨む緑豊かな環境に位置する。校舎裏の河川敷には、原爆慰霊碑があり、児童による平和の集いが行なわれている。 本学区(狩留家・小河原・上深川)は、四方を山に囲まれた純農村山地として発展してきた地域である。近年は、世帯数・人口ともに横ばいの傾向にある。学区が広く、片道3~4キロ以上を徒歩通学する児童もいる。山陽自動車道広島東インターチェンジに近いことや、向原・三次方面へと向かう県道が学区内を貫くことから交通量が増加し、継続的な安全指導と配慮が重視されている。 沿革経緯1909年(明治42年)に狩小川尋常小学校として開校。学校名は、当時の村域に属していた狩留家・小河原・上深川の町名から、それぞれ一文字を抜粋し、『狩小川』と総称したものが由来とされている。また、記述の3カ村が現在に渡り、校区と定められている。1889年に市町村制が施行され、1898年に郡制の施行をもって安佐郡(旧高宮郡)が発足。1955年(昭和30年)に、狩小川村と、その近隣に独立していた落合村・口田村・深川村が対等合併し、高陽町が成立する。この町村合併に伴い、学校名が安佐郡高陽町立狩小川小学校に改称される。1973年(昭和48年)、高陽町が、隣接する安佐郡佐東町・安古市町・安芸郡瀬野川町とともに広島市へ編入。この市町村合併により、新たに広島市立狩小川小学校と改称され、現在に至る。 年表
教育目標
学校行事
周辺環境白木街道に面した県道37号線沿いに所在。周辺は、山と川に囲まれた自然豊かな環境が広がっており、集落跡地や、対岸へ渡る近世補助路・循環道がある。校舎裏に流れる太田川の支流・三篠川(三田川)の川縁に「かこがわ水辺の楽校」が設置され、カヌー教室や河川水難事故防止に関する安全教室などが実施されている。 交通
著名な関係者
関連項目外部リンク
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