岩瀬 (鎌倉市)
岩瀬(いわせ)は、神奈川県鎌倉市の地名。現行行政地名は岩瀬一丁目及び大字岩瀬。住居表示は一丁目が実施済み区域、大字岩瀬は未実施区域[5]。 地理鎌倉市の北部に位置し、北側は横浜市栄区と入り組んで隣接している。凸型をした地域のうち東部は砂押川を中心に南北を丘陵に挟まれた谷地であり、住宅地となっている。丘陵は急傾斜で開発が進んでいないため緑が多く残る。その他は平坦な地形で住宅地を主とし、工場、倉庫などが点在する。また、南側の境界線上には砂押川が西へ流れる。アメリカザリガニ伝来の地としても知られる。 地価住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば、岩瀬字内耕地789番の地点で15万3000円/m2となっている[6]。 歴史鎌倉時代、岩瀬与一太郎という御家人がこの地を治めた事が地名の由来とされ、岩瀬与一太郎由来の神社(五社稲荷神社)などの史跡も残る。 仁治元年(1240年)に北条泰時が発給した文書によると、当時この地が山内新阿弥陀堂(現横浜市本郷、證菩提寺)の料所であった事がわかる。なおこの文書は「岩瀬」という地名が史料上で確認できる最古の文書である。 正平7年(1351年)、岩瀬は足利尊氏によって島津忠兼に与えられたが、その後後北条氏の台頭によって後北条氏の支配下となる。なお後北条氏支配下のころはほぼ全域が明月院の所領だった。 江戸時代になると鎌倉郡岩瀬村は江戸幕府の保護を受けた大長寺や複数の旗本など複数の領主の相給となっていた。 明治22年(1889年)に周辺6箇村と合併して小坂村となり、昭和8年(1933年)には町制施行・改称して大船町となった。 大正期に鎌倉食用蛙養殖場(現、岩瀬下関防災公園)が作られ、ウシガエルの養殖が大々的に行われた。これらのウシガエルは食用として欧米諸国に輸出され、周辺農民の貴重な現金収入となった。またその餌としてアメリカザリガニも飼育され、のちにこれらの生物は外来種として拡がった。 昭和23年(1948年)に鎌倉市へ編入され、現在に至る。 世帯数と人口2023年(令和5年)9月1日現在(鎌倉市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
人口の変遷国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷国勢調査による世帯数の推移。
学区市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2017年7月時点)[13][14]。
事業所2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[15]。
事業者数の変遷経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷経済センサスによる従業員数の推移。
交通鉄道
バス道路
施設教育機関
神社・寺院名所
その他河川その他日本郵便関連項目参考文献
脚注
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