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小畠絹子

おばた きぬこ
小畠 絹子
小畠 絹子
(左)天知茂、(右)小畠絹子 1967年頃
本名 大久保 禮子(禮は示ではなくネ)
別名義 木崎 伸子
小畑 絹子
小畠 絹子
小畠 きぬ子
小畠 キヌ子
生年月日 (1931-08-16) 1931年8月16日
没年月日 (2022-01-31) 2022年1月31日(90歳没)
出生地 日本の旗 日本東京府(現東京都
ジャンル 女優
活動期間 1957年 - 2022年
活動内容 映画テレビドラマ
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小畠 絹子(おばた きぬこ、1931年8月16日 - 2022年1月31日[1])は、日本女優。本名は大久保禮子 (禮は示ではなくネ)。東京府(現東京都)出身。

来歴・人物

華族の大久保子爵家の次男である父・準と、母・秋子のもとに、四人姉妹の次女として東京市赤坂区青山南町に生まれる[2]。 本名は大久保禮子(おおくぼ のりこ)。 母方の従兄に新劇運動を興した土方与志がいる[2]高井戸国民学校を卒業し、1949年に成安女子学院(現・京都産業大学附属中学校・高等学校)を卒業。親類が経営する鏑木汽船に入社。勤務中にスカウトされ、1957年木崎伸子の芸名で中川順夫監督の教育映画、『えんぴつ泥棒』、『愛の星座』に教師役で出演。新東宝が『愛の星座』を配給したことが縁となり、同年9月に新東宝に入社[2]。 芸名を 小畑絹子と改め1958年に『女の防波堤』に主演。以後、新東宝随一の美女として活躍した。

新東宝倒産後はフリーとなり、後輩の池内淳子に次ぐ昼メロ・スターとしてテレビドラマで人気を博し、1963年松竹と優先本数契約を結んだ[2]1967年からは再びフリーとなり、多くのテレビドラマに出演したほか、雑誌の和装モデルとしても活躍した。

芸名は木崎伸子小畑絹子小畠絹子小畠きぬ子小畠キヌ子小畠絹子と改名した。

出演

映画

ほか

テレビドラマ

ほか

脚注

  1. ^ 下村健 [@Shimo_x2] (2022年3月14日). "悲しいお知らせです。 木崎伸子名義で数本の児童映画に出演された後新東宝でメジャーデビューされトップスターとして活躍、同社解散後は松竹やテレビなどでも活躍された女優 小畑絹子(後に小畠絹子 ご本名 大久保禮子)さんが去る1月31日に老衰で逝去されました。". X(旧Twitter)より2022年12月1日閲覧
  2. ^ a b c d 『キネマ旬報臨時増刊 日本映画俳優全集 女優編』株式会社キネマ旬報社、1980年12月31日、178頁。 
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