寧夏回族自治区
寧夏回族自治区(ねいか かいぞく じちく)は、中華人民共和国西北部に位置する自治区である。ニンシャー・ホイ族自治区とも呼ばれる。首府は銀川市。 地理自治区北部は内モンゴル自治区、南部は甘粛省と接する。東部の一部は陝西省と接している[3]。 自治区は黄河の上流域に位置し、地勢は全体として南が高く北が低い。南部は黄土高原や六盤山地が大部分を占め、北部は寧夏平原が大部分を占め、西北部は賀蘭山が占めている。 黄河沿いの寧夏平原には、銀川をはじめとする都市が集中し、人口も集中している。 中部の固原より北は北部、南は南部と区分されている。 砂漠化が進んでいる地域の一つでもある。 気候1月の平均気温は北部が-10度、南部が-8度、7月の平均気温は北部が22度、南部が18度で、北部が南部より温度差が大きいのが特徴である。 年の平均降水量は北部が約200ミリ、南部が500ミリで、南部が湿潤で北部が乾燥している。 民族回族はイスラム教徒で長年の混血のため外見上は漢族と見分けがつかないが、起源は元代に中国に流入したテュルク人・ペルシア人・アラブ人などの西域民族とされている。回族が自治区人口の三分の一を占め、残りは殆どが漢族である。 歴史→「寧夏省」も参照
秦の属地の北地郡であり、漢代には朔方郡となった。宋代には党項民族が勢力を拡大して西夏王国を建国した。西夏の国都は興慶府に在り、シルクロードを押さえて強盛を誇るもモンゴル帝国に侵攻され、チンギス・カンは西夏遠征中に六盤山で死去した。元代に寧夏路が設置されたが、この頃から西方民族が流入してイスラム化が進行した。明代には寧夏衛が置かれた。1591年に起きた明への叛乱である哱拝の乱は別名「寧夏の役」とも呼ばれている。清代には寧夏府が置かれた。 中華民国成立後も甘粛省寧夏道とされたが、1929年に寧夏省が新設された。六盤山は長征最後の難所となり、中国共産党が実効支配する陝甘寧辺区も成立した。中華人民共和国成立後は甘粛省寧夏地区とされたが、1958年に省級の寧夏回族自治区が設置され現在に至る。 行政区画寧夏回族自治区は5地級市(地区クラスの市)を管轄する。
経済黄河が流れる寧夏平原は昔から魚や米がよく収穫され、「天下黄河富寧夏」といわれた。 農業における主要な作物は、北部ではコムギ・米・トウモロコシ・アブラナ・テンサイ・スイカ等、南部では麦・ゴマなどが有る。また、自治区は中国でも上位に位置する著名な羊の毛皮の産地で、中国各地に売られている。 国際的にも高品質の石炭、太西石炭を産出する。また石膏の埋蔵量は中国一[3]。 教育脚注出典
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