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富山赤十字病院(とやませきじゅうじびょういん)は、富山県富山市にある医療機関である。日本赤十字社富山県支部が設置する病院である。富山県東部の中核的な医療機関の1つであり、地域医療の中心的役割を果たしている。
沿革
出典は個別にあるものを除き、『富山赤十字病院 創立100年記念誌』(2007年11月11日、富山赤十字病院発行)に記載のものを使用する[1]。
- 富山市立病院
- 日本赤十字社富山支部
- 日本赤十字社富山県支部
- 1952年(昭和27年)- 日本赤十字社富山支部を日本赤十字社富山県支部に改称。
- 富山赤十字病院
- 1907年(明治40年)
- 3月2日 - 日本赤十字社富山支部病院の設置認可が下りる。
- 5月1日 - 富山市総曲輪の富山市立病院を買収し、日本赤十字社富山支部病院として開設(全国で6番目)。
- 1909年(明治42年)10月17日 - 富山市東田地方町の遊園地跡(1900年開催の関西聯合府県共進会会場の予定地であったが、会場が変更されたためしばらく遊園地となっていた)に2階建の病院を新築移転。
- 1937年(昭和12年)12月15日 - 富山陸軍病院赤十字病院と改称。
- 1939年(昭和14年)12月15日 - 陸軍病院指定解除に伴い、当初の名称に戻る。
- 1943年(昭和18年)1月 - 現名称に改称。
- 1945年(昭和20年)
- 8月1日から8月2日未明 - 富山大空襲により病院全焼。入院患者4人、職員1人、動員生徒6人が死亡、職員2人が火傷を負った。
- 8月6日 - 富山市新庄町託児所に仮設の診療所を設置し、8月10日より診療開始。
- 9月27日には富山市下奥井の立山重工業(株)青年学校を借り受けて、内科、小児科の一部を除き移転。
- 1946年(昭和21年)
- 7月1日 - 看護婦生徒養成所が下奥井に移転し、授業再開。
- 12月28日 - 元の場所にてバラック建て本館・病棟が竣工し、1947年(昭和22年)1月20日に移転、47床体制で診療再開。看護婦生徒養成所も同地に移転。
- 1955年(昭和30年)10月28日 - 地上3階、地下1階建の鉄筋コンクリート建築の病棟が竣工。
- 1958年(昭和33年)11月21日 - 地上3階建の鉄筋コンクリート建築の第二病棟竣工。
- 1965年(昭和40年)4月30日 - 一部5階建ての鉄筋コンクリート建築の病棟竣工。1968年(昭和43年)2月29日に増築。
- 1996年(平成8年)
- 7月10日 - 新病院・看護専門学校が牛島浄化センター跡地の現在地に新築移転。
- 8月20日 - 現在地にて診療開始。
- 2010年(平成22年)8月26日 - 地域医療支援病院の承認を受ける[2]。
- 2011年(平成23年)7月1日 - 災害拠点病院(地域災害医療センター)の指定を受ける[3]。
診療科目
- 診療協働部門
- 看護部、看護専門外来
- 薬剤部
- 病理部・検査部
- 放射線科部技術部門
- 血液浄化治療センター
- リウマチセンター
- 健診センター
- 化学療法センター
医療機関の指定等
交通アクセス
関連項目
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脚注
外部リンク
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