大谷口 (板橋区)
大谷口(おおやぐち)は、東京都板橋区の町名[5]。現行行政地名は大谷口一丁目及び二丁目。全域で住居表示が実施されている。 地理板橋区の南部南端部に位置する。北で大谷口上町、東で大山西町、南で豊島区千川、西で向原と隣接する。町域の南辺をもって板橋区 - 豊島区境を形成している。町域中央を南北に縦走する都道を境界に東側に大谷口一丁目、西側に大谷口二丁目が並ぶ。 地価住宅地の地価は、2024年(令和6年)1月1日の公示地価によれば、大谷口2-24-15の地点で51万3000円/m2となっている[6]。 歴史1559年(永禄2年)の『小田原衆所領役帳』に初出する。『新編武蔵風土記稿』では上板橋村の小名として見える[7]。 1871年(明治4年)11月14日に、当該エリアが浦和県(現埼玉県)から東京府に編入。1931年(昭和6年)大谷口配水塔が設置された。1932年(昭和7年)板橋区大谷口町となる。1957年(昭和32年)より3年間に幸町・大山西町・大谷口北町・大谷口上町・弥生町が分裂し、残った大谷口町と向原町の一部を合わせて大谷口一・二丁目が成立した。 1978年(昭和53年)4月6日、東京都下で集中豪雨。石神井川が大谷口で氾濫、周辺地域も含め約200戸が床上浸水、約850戸が床下浸水[8]。 地名の由来石神井川湾曲地点の地形を表したものと考えられている。 世帯数と人口2024年(令和6年)3月31日現在(板橋区発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
人口の変遷国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷国勢調査による世帯数の推移。
学区区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2021年8月時点)[15]。
事業所2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[16]。
事業者数の変遷経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷経済センサスによる従業員数の推移。
交通鉄道バス道路施設
その他日本郵便関連項目脚注
外部リンク |