大湯鉄道大湯鉄道(だいとうてつどう)は、現在の九州旅客鉄道(JR九州)久大本線の一部である大分市駅 - 小野屋駅間を開業させた鉄道事業者(私鉄)である。開業後7年で買収・国有化された。 歴史大分市と湯平温泉のある湯平村(現・由布市)間を鉄道で繋ぐ計画[1][2]により1913年(大正2年)に設立された大湯鉄道株式会社[3]により、1915年(大正4年)10月30日に大分市駅(豊州線:現・日豊本線の大分駅の東隣)から小野屋駅(現・由布市)までの間(全長21.9km)で開業した[4][5]。しかし第1次世界大戦による資材の高騰と資金不足により湯平延長の目処がたたなかった[6]。一方「久留米より日田を経て大分に至る鉄道」が1919年(大正8年)3月25日「法律第20号」[7]をもって鉄道敷設法[8]第2条の予定線に加わり、あわせて第7条の第一期鉄道となり建設予算がつくことになった。そして1920年(大正9年)12月16日に小野屋 - 天ヶ瀬間の工事が着手された[9]。この計画線上にある大湯鉄道は買収の対象となり、1922年(大正11年)第45帝国議会において審議となった。その委員会では元田肇鉄道大臣、石丸重美鉄道次官、木下謙次郎参事官らが大分出身であることから問題視されたものの国有鉄道の建設工事に伴って買収するものは当然として[10]可決され[11]、同年12月に鉄道省に買収され以後は国鉄大湯線[12]として1923年(大正12年)には湯平駅まで鉄道が延ばされた。1925年(大正14年)には南由布・北由布駅(現・由布院駅)まで、さらに1929年(昭和4年)に豊後森駅(玖珠郡玖珠町)まで延長された。1934年(昭和9年)、日田から天ヶ瀬(日田市)間の開通により大分から久留米まで接続し国鉄久大線に編入された。 なお営業成績であるが輸送量は年を追って増加し、併せて政府補助金もあることから大正5年度より5分の配当を続けていた。このため買収価額も569,302円と開業線建設費494,696円の1.2倍にあたり投資額以上となった[13]。 また取締役に東武鉄道の根津嘉一郎の名前が見られる。開業にあたって調達した車両のほとんどが東武鉄道の中古車であるが、役員、大株主とも地元のメンバーで固められ根津の関係者が見られず、投資としても微少でありどのような経緯から根津が関与するようになったかはっきりしない。 年表
駅一覧大分市駅 - 古国府(ふるごう)停留場 - 永興(りょうご)停留場 - 賀来(かく)駅 - 森ノ木停留場 - 平横瀬(ひらよこせ)停留場 - 向之原(むかいのはら)駅 - 鬼瀬(おにがせ)停留場 - 櫟木(いちぎ)停留場 - 小野屋駅
接続路線輸送・収支実績
車両開業年度は機関車4両、客車9両、貨車28両、1918年(大正7年)に国鉄より客車2両の払下げを受け国有化まで変化は無い
その他2015年(平成27年)10月30日の大湯鉄道開業100周年に向けて「豊後大正ロマン街道・大湯鉄道物語」プロジェクトを始動させるにあたり、2014年(平成26年)1月にプロジェクト推進協議会の設立準備委員会を発足する予定である[26][27]。 脚注
参考文献
外部リンク
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