大串兎代夫大串 兎代夫(おおぐし とよお、1903年(明治36年)1月19日[1] - 1967年(昭和42年)1月3日)は、日本の法学者、国家学者。東洋大学教授、國學院大學教授、名城大学教授、名城大学法商学部長、名城大学総長。従四位勲三等瑞宝章。 国民精神文化研究所では哲学者の小島威彦、教育学者の伏見猛弥と共に三羽烏と呼ばれる[2][3]。 来歴1903年、判事大村大代の三男として、大阪市に生まれる。1907年、長崎県西彼杵郡面高村の大串一郎の養子となる。1923年、第五高等学校卒業[3]。1926年、東京帝国大学法学部英法科を卒業[1][3]、同大学大学院に進学して上杉慎吉に師事する[1]。1927年、高等試験司法科合格[1]。1928年、大学院を修了すると、ドイツに留学[1]。イェーナ大学でオットー・ケルロイターに師事し、国家学・憲法学を学ぶ[1][3]。 1933年帰国[3]、1934年、国民精神文化研究所所員[1]。1936年東洋大学教授、1939年文部省教学官を経て[1]、1940年國學院大學教授[1]。1943年文部省教学錬成所所員[1]、1944年、同指導部長[1]。1945年、公職追放[1]。1948年、東京弁護士会所属弁護士登録[1]。1951年、築地運送株式会社社長[1]。1954年、名城大学法商学部教授[1]。1955年、名城大学法商学部長[1]、同大学総長[1]。1962年「国家権威の研究」により法学博士(明治大学)[1]。1963年、名城大学教授を辞任[1]。1965年、亜細亜大学法学部教授[1]。 1943年にドイツ学術院アカデミー賞を受賞したとされる[1]。しかし、この賞がどのような賞なのかは不明である[4]。 著書
共著
翻訳
脚注
参考文献
外部リンク |