坂本多加雄坂本 多加雄(さかもと たかお、1950年6月8日 - 2002年10月29日)は、日本の政治学者(政治学・日本政治思想史)。学位は、法学博士。 人物愛知県名古屋市出身。1952年(昭和27年)、父の転勤により兵庫県神戸市に転居。灘中学校・高等学校を経て、1975年(昭和50年)東京大学法学部卒業。同大学院にて日本政治思想史を専攻し、松本三之介らの指導を受ける。同じく近代日本政治史を専攻研究した御厨貴や北岡伸一[1]とは、その頃から交流があった。 1980年(昭和55年)同大学院法学政治学研究科博士後期課程を修了して学習院大学法学部助教授に就任、1987年(昭和62年)より教授。1992年(平成4年)~1994年(平成6年)、ハーバード大学客員研究員。 1996年(平成8年)12月2日、藤岡信勝、西尾幹二らが中心となって「新しい歴史教科書をつくる会」の結成記者会見が開かれる。西尾は「この度、検定を通過した7社の中学教科書は、証拠不十分のまま従軍慰安婦の強制連行説をいっせいに採用した」との声明を発表。声明文には藤岡、西尾、小林よしのり、坂本、高橋史朗、深田祐介、山本夏彦、阿川佐和子、林真理子の計9人が呼びかけ人として名を連ねた[2][3][4]。 「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」委員などを務め、学習院大学では政治学科主任や史料館長などを歴任した。 福地源一郎、山路愛山といった近現代日本の知識人の論考・言説研究から著述活動をスタートし、日本の来歴をどう位置付けるかをライフワークとした。1990年代半ばから保守派の論客として活動した。歴史教科書問題では、歴史教育と歴史研究を区別し、歴史研究(特に近現代史)は様々であるべきだが、歴史教育はオーソドックスなものであるべき、と主張した。 2002年(平成14年)10月、胃ガンで急死(発見が遅れ、急速に進行悪化)[5]。 大学時代からの弓道と映画鑑賞が趣味で、遺稿の映画評論をまとめ『スクリーンの中の戦争』(文春新書)[6]が出版された。 受賞歴
著書
選集
編著
論考・共著
研究
脚注
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