土湯温泉
土湯温泉(つちゆおんせん)は、福島県福島市土湯温泉町にある温泉。高湯温泉とともに土湯・高湯温泉郷を構成する[1]。 概要温泉街はJR福島駅の南西約16kmに位置しており、浄土平、一切経山、吾妻小富士、高山、安達太良連峰の山々に囲まれている[1]。標高は約450メートルで温泉地全域が磐梯朝日国立公園に指定されている[1]。鳴子(鳴子温泉)や遠刈田(遠刈田温泉)と並んで「日本三大こけし」産地としても知られる[1]。 福島城下町から会津方面へと向かう会津街道(土湯街道)の宿場としての役割を兼ね備えた温泉郷として、1400年以上の歴史を持つ。県都福島市から会津地方へ向かう最短ルート国道115号(土湯街道)沿いに立地する。 環境省「土湯・高湯温泉郷 国民保養温泉地計画(令和5年3月)」では、土湯温泉には18軒の旅館やホテルがあるとしている[1]。2014年度(平成26年度)から2018年度(平成30年度)までの5カ年で、都市再生整備計画により、公衆浴場「中之湯」、「まちおこしセンター 湯楽座」、「観光交流センター 湯愛舞台」の整備が行われた[1]。町内には足湯が4か所存在し、全て無料で利用できる。 吾妻・安達太良連峰の峠付近に位置する温泉施設も「土湯温泉郷」に含まれることも多い(鷲倉温泉、赤湯温泉、野地温泉、新野地温泉、幕川温泉)。 温泉街近郊の仁田沼周辺には、ミズバショウやカタクリの花が咲き、女沼などの自然観光スポットも存在する。
泉質土湯温泉にはいくつもの源泉があり、10種類以上の泉質の温泉が楽しめる。 歴史開湯伝説では、オオムナチノミコト(大穴貴命)が荒川のほとりで地面を鉾で突いて発見したとされる。鉾で突いたことから「突き湯」となり、それが転じで「土湯」となったという。
こけし(土湯系)土湯こけしは福島市を代表する郷土玩具となっている。日本有数のこけし産地で先述のように鳴子(鳴子温泉)や遠刈田(遠刈田温泉)とともに「日本三大こけし」産地の一つとなっている[1]。周辺には土湯見聞録館やこけしの展示館などが存在する。 土湯こけし(土湯系)の特徴は、ミズキやカエデを原材料とし、頭頂部に黒の蛇の目の輪を描き、前髪と鬘の間にカセと呼ぶ赤い模様があることである[1]。また、頭部が比較的小さく、胴部は細身で縞のろくろ線がある[1]。
東日本大震災の影響土湯温泉の最盛期は昭和50年代半ばで、23軒の旅館があり、ピーク時で年間約23万人が宿泊した[4]。 2011年の東日本大震災以降、最も廃業が目立った温泉地としても報道され、16軒あった旅館は11軒にまで減少した。震災直後に速やかに経営を断念し、閉館及び破産した施設もあったが、土湯温泉が積極手に被災者や避難者を多く受け容れたことで、一定数の安定需要がありその後も数多くの施設が営業を続けた。 しかし、8月を目処に避難者が他所に移ったため、この特需が一服してからは、福島第一原子力発電所事故後の風評被害が拭いきれず、震災以降の自粛により稼働率が3割未満に急落した。それまでの特需に伴う人件費など過剰となった運営費用が旅館経営を圧迫したためである。その結果、半年で5軒の旅館が休廃業に追い込まれ、温泉地は存亡の危機に立たされた。 その後は営業を再開する旅館があったり[5]、上記の公衆浴場「中之湯」が建て替えられたり[6]といった復興の動きが進んでいる。 中之湯の運営も担う地元企業「元気アップつちゆ」は温泉街再生事業の主体として設立され、2015年には地熱発電と小規模水力発電を開始。その後は養殖したオニテナガエビを行楽客に釣ってもらったり、旅館の食材として使ったりする事業にも乗り出している[7][4]。2021年1月24日10時5分から、NHKドキュメンタリー「明日へつなげよう」で「福島発!再エネに託す未来」が放映された[8]。 閉館した施設
交通脚注・出典
関連項目外部リンク
|