吉野朔実
吉野 朔実(よしの さくみ、1959年2月19日[1] - 2016年4月20日[2])は、日本の女性漫画家。大阪府出身[1]。血液型はO型[3]。 人物・経歴1959年(昭和34年)年2月19日に大阪府で生まれ、熊本県、千葉県で育つ[1]。千葉県立柏高等学校を経て(江口寿史との対談[4]や、江口寿史が自らのTwitterアカウントで、江口と吉野と塩森恵子が同校出身と述べている[5])、短期大学を卒業[1][6]。 1980年、集英社の少女漫画雑誌『ぶ〜け』から「ウツよりソウがよろしいの!」でデビュー[1]。1983年から『ぶ〜け』で大学生の青春群像を描いた『月下の一群』を連載開始した[1]。 1980年代から1990年代までは『ぶ〜け』で連載を続け、1985年からは「少年は荒野をめざす」[1]。1988年からは「ジュリエットの卵」を連載[1]。これらの作品ではその後も吉野の作品のモチーフとなっていく心理学的な題材や人物の鏡像関係などが見られる[1]。1991年からは、毎月50頁のオムニバス的連載「いたいけな瞳」、1993年には心理カウンセラーの女性と双子の男性を軸にした「エキセントリックス」を連載[1]。その後、集英社との専属契約が切れたため、2000年代以降は小学館の雑誌に活動の場を移す。 2001年に『週刊ビッグコミックスピリッツ』で連載開始した「瞳子」では青年誌に進出し、大学卒業後に就職しない男女の関係を描いた[1]。 文学にも造詣が深くエッセイの執筆も手がけ、『本の雑誌』で連載していた書評エッセイは『お父さんは時代小説(チャンバラ)が大好き』(本の雑誌社、1996年)などとして出版されている[1]。映画に関するエッセイは『こんな映画が、吉野朔実のシネマガイド』(パルコ出版、2001年)として出版された[1]。またNHKの書評番組『週刊ブックレビュー』にも書評者として何回か出演した。 2002年10月に小学館から刊行された漫画作品『記憶の技法』は、同名実写映画の原作となり、2020年に映画『記憶の技法』として公開(制作・配給:KAZUMO)、同年11月27日よりヒューマントラストシネマ渋谷ほかで全国ロードショーが開始された[7]。 2003年より『月刊IKKI』で連載開始した「period」は現代の家族をテーマに、2014年完結までの長期連載となった[1][8]。死の直前となる2016年には『月刊フラワーズ』6月号に読み切り「いつか緑の花束に」とインタビューを掲載[1][8]、『本の雑誌』には「吉野朔実劇場」の連載を続けていた[8]。 2016年4月20日、東京都内で死去[1][8][2]。57歳没[1][2]。小学館側の発表では「病気のため逝去」としか語られておらず、詳細な死因は明らかにされていない[9][10]。 緻密で華麗な絵柄とクールで分析的な視点の作風を特徴とする。しばしば心理学を題材とし、青年期のアイデンティティ・クライシスを描くため、直接的また間接的に双子を扱った作品が多く見られる。作風は松苗あけみや山本直樹の影響を受けたと語っている。[要出典]また歌人の穂村弘や精神科医の春日武彦との交友関係が知られ、春日の著書の挿絵も手がけている。 作品リスト漫画単行本
エッセイ
絵本
画集
挿絵・挿入漫画など
カバーイラスト脚注
関連項目外部リンク |