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この項目では、広島県三次市和知町にある古城山城について説明しています。
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古城山城(こじょうやまじょう)は、広島県三次市和知町にあった日本の城(山城)。国広山にある築城年代の異なる4つの城群の1つ。
概要
現在は城跡を中国縦貫自動車道が通っている。また、その南に土居跡があり、鎌倉幕府から下ってきた地頭・広沢与三実高(後、地名の和智氏を名乗る)の住居跡と推測されているが、未調査のためはっきりしない[2][3]。
この付近に和智邸があったと仮定すると、1302年(正安4年/乾元元年)冬、後深草院二条が厳島神社詣での帰途、和智邸及び江田邸に立ち寄ったことが日記『とはずがたり』に書かれている[4][5][6]。
和智氏は、室町時代初期の応安年間(1368-1375年)に広島県三次市吉舎町の備後・平松山城、更に南天山城へ移ったとされる。
脚注
- ^ 「文化財」三次市公式HP
- ^ 広島県教育委員会 1978年 pp.226-258
- ^ 創史社 1980年 pp.122
- ^ 次田 1978年
- ^ 福田 1982年
- ^ 次田 1992年
参考文献
- 次田香澄校注『とはずがたり』校注古典叢書 明治書院 1978年(昭和53年)
- 広島県教育委員会編『中国縦貫自動車道建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告(1)』pp.226-258 1978年(昭和53年)3月
- 創史社編『日本城郭大系』第13巻 広島・岡山 pp.122 1980年(昭和55年)1月
- 福田秀一校注『とはずがたり』新潮日本古典集成 新潮社 1982年(昭和57年)
- 次田香澄全訳注『とはずがたり』上下 講談社学術文庫 講談社 1992年(平成4年)5刷
関連項目