南山王国南山王国(なんざんおうこく)または山南王国(さんなんおうこく)は、現在の糸満市を中心に沖縄県島尻郡南部に存在した王国。 山南は中国(明)側からの呼称である。 概要少なくとも14世紀初め頃、大里按司承察度が周辺按司をまとめ[1]、南山王の位につき建国した。南山王大里按司は英祖王の五男、大里王子の直系とされている[2]。 一説には1380年に王の承察度が中国(明)に朝貢したとあるが[3]、『琉球国志略 巻四』には山南王として汪応祖が1385年(洪武18年)「琉球国山南王」の賜印を受けたとある[4]。朝貢を通算22回行っている。 1429年、他魯毎の治世の時、中山王の尚巴志により滅ぼされた[5]。山南王賜印の行方は分かっていない。 なお、尚巴志の父尚思紹は南山王国の佐敷按司であり、尚思紹・尚巴志が中山察度王統を滅ぼし、ついで北山、南山をも滅ぼした事になる。 歴代国王参考文献
脚注
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