北陸製菓株式会社(ほくりくせいか)は、石川県金沢市に本社を置く日本の菓子メーカー。略称は北菓(ほっか)。アルファベット表記はhokkaで、商品表記には主にこれが使用される。
概要
ビスケットやカンパンを主力商品とする菓子メーカーで[1]、現在はかつて福屋製菓(2代目、初代は福富屋製菓)が生産・販売していたあられ菓子「ビーバー」も主力商品となっている。「ビーバー」の由来は、1970年(昭和45年)に開催された日本万国博覧会(大阪万博)でカナダ館に展示されていたビーバーの歯形があられに似ていると思いつき開発したとされている[2]。
本社に隣接した直売店「金沢彩匠」(かなざわさいしょう)では工場見学も可能になっている[3]。
歴史
- 1918年(大正7年) - 金沢市堀川町に「日本あられ株式会社」を設立。
- 1925年(大正14年) - 社名を「北陸製菓株式会社」に変更。ビスケット類の生産開始。
- 1941年(昭和16年) - 大阪陸軍糧秣監督工場に指定。カンパンの製造を開始。食糧公団の登録工場に指定。乳幼児食ビスケットの生産と配給パン、学童パンの生産を開始。
- 1953年(昭和28年) - オートメーション電熱運行釜を導入。
- 1959年(昭和34年) - 石川郡美川町湊(現在の白山市湊町)に米菓工場を建設。
- 1961年(昭和36年) - カットパンの生産に着手、それに伴う醗酵設備を導入。全国各県に優良特約店を設置。
- 1964年(昭和39年) - 函館の北大製菓株式会社に資本及び技術を投入し、「北海道製菓株式会社」を設立発足。
- 1967年(昭和42年) - 金沢市押野に新工場完成。バンドオープン機械、自動計量器、自動包装機械等多数を導入し、カンパン、ビスケット、クッキー等の増産体制を整える。
- 1975年(昭和50年) - オーブンバンド機、高速クリームサンド機を増設。
- 1977年(昭和52年) - 資本金を5000万円に増資する。
- 1979年(昭和54年) - 「ハードビスケット」全国販売開始。
- 1985年(昭和60年) - 自動包装機械を購入。
- 1988年(昭和63年) - コンピュータースケール機、ピロー包装機を増設。
- 1993年(平成5年) - 高速縦型ピロー包装機増設。
- 1996年(平成8年) - 海鮮せんべい工場新設。
- 1997年(平成9年) - 北陸製菓本社に併設した直営店「金沢彩匠」オープン。
- 2000年(平成12年) - 北陸製菓株式会社7代目代表取締役に高崎憲二が就任。
- 2001年(平成13年) - 有限会社レガーロを設立。
- 2002年(平成14年) - カートニングマシーンを増設。
- 2003年(平成15年) - 自動包装ラインを増設。カンパン真空ラインを増設。ISO9001を認証取得。
- 2008年(平成20年) - 有限会社ホッカ販売を設立。
- 2014年(平成26年) - 経営破綻した福屋製菓の「ビーバー」を受け継ぎ販売を開始する[4]。
- 2018年(平成30年) - 設立100周年。
主な製品
ビーバーをめぐる効果
富山県出身でNBA(ワシントン・ウィザーズ)プレイヤーの八村塁が、2019年7月チームメイトに「白えびビーバー」を差し入れしてInstagramに投稿したことが話題となった[2][5][7]。これにより、商品の注文が殺到し品薄となり最大で1か月待ちになったほか[8]、北陸製菓は急遽「ビーバー」の公式Twitterも開設[8]。
北陸製菓は、2019年12月に石川県金沢市出身の大相撲力士炎鵬に化粧廻しを贈呈[9][10][11]。同社の「ビーバー」のマスコットが刺繍であしらわれた廻しで、社長の高崎憲親と炎鵬の兄が金沢市立西南部中学校の同級生で[10][11]、炎鵬が高崎の2学年後輩であるという縁で実現した[9][11]。この化粧廻しは、2020年1月12日初日の初場所で披露された[12][13]。
脚注
注釈
出典
外部リンク